呂氏春秋 / 士容②
齊有善相狗者,其鄰假以買取鼠之狗,期年乃得之,曰:「是良狗也。」其鄰畜之數年,而不取鼠,以告相者。相者曰:「此良狗也。其志在獐麋豕鹿,不在鼠。欲其取鼠也則桎之。」其鄰桎其後足,狗乃取鼠。夫驥驁之氣,鴻鵠之志,有諭乎人心者誠也。人亦然。誠有之則神應乎人矣,言豈足以諭之哉?此謂不言之言也。
新字:斉有善相狗者,其鄰仮以買取鼠之狗,期年乃得之,曰:「是良狗也。」其鄰畜之数年,而不取鼠,以告相者。相者曰:「此良狗也。其志在獐麋豕鹿,不在鼠。欲其取鼠也則桎之。」其鄰桎其後足,狗乃取鼠。夫驥驁之気,鴻鵠之志,有諭乎人心者誠也。人亦然。誠有之則神応乎人矣,言豈足以諭之哉?此謂不言之言也。
書き下し
齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
現代語訳
斉に犬の良し悪しを見分けるのが上手な者がいた。その隣人が鼠を捕る犬を買い求めようとし、一年たってようやく手に入れ、鑑定人は『これは良い犬だ』と言った。ところが隣人が数年飼っても鼠を捕らないので、鑑定人に告げた。鑑定人は『これは良い犬だ。その志はのろ・おおしか・猪・鹿を狙うことにあって、鼠にはない。鼠を捕らせたいなら足枷をつけよ』と言った。隣人が犬の後ろ足に枷をはめると、犬はやっと鼠を捕った。そもそも駿馬の気概や大鳥(鴻鵠)の志が人の心に伝わって理解されるのは、それが誠(まこと)だからである。人もまた同じで、誠が備わっていれば、その心のはたらきは自然に他人に通じる。言葉などでどうしてそれを伝えきれようか。これを言わずして語る(不言の言)というのである。