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呂氏春秋 / 貴當①

名號大顯,不可彊求,必繇其道。治物者不於物於人,治人者不於事於君,治君者不於君於天子,治天子者不於天子於欲,治欲者不於欲於性。性者萬物之本也,不可長,不可短,因其固然而然之,此天地之數也。窺赤肉而烏鵲聚,貍處堂而眾鼠散,衰絰陳而民知喪,竽瑟陳而民知樂,湯、武修其行而天下從,桀、紂慢其行而天下畔,豈待其言哉?君子審在己者而已矣。

新字:名号大顕,不可彊求,必繇其道。治物者不於物於人,治人者不於事於君,治君者不於君於天子,治天子者不於天子於欲,治欲者不於欲於性。性者万物之本也,不可長,不可短,因其固然而然之,此天地之数也。窺赤肉而烏鵲聚,貍処堂而眾鼠散,衰絰陳而民知喪,竽瑟陳而民知楽,湯、武修其行而天下従,桀、紂慢其行而天下畔,豈待其言哉?君子審在己者而已矣。

書き下し

名號の大いに顯わるること、彊いて求む可からず。必ず其の道に繇る。物を治むるには物に於てせずして人に於てす。人を治むるには事に於てせずして君に於てす。君を治むるには君に於てせずして天子に於てす。天子を治むるには天子に於てせずして欲に於てす。欲を治むるには欲に於てせずして性に於てす。性なる者は萬物の本なり。長くす可からず、短かくす可からず。其の固より然るに因りて之を然りとす。此れ天地の數なり。赤肉を窺いて烏鵲聚まる。貍、堂に處りて衆鼠散じ、衰絰陳ねて、民、喪を知る,竽瑟陳ねて、民、樂を知る,湯・武、其の行いを修めて天下從い、桀・紂、其の行いを慢りにして天下畔く。豈に其の言を待たんや。君子は己に在る者を審らかにするのみ。

現代語訳

名声が大きく顕れることは、無理に求めて得られるものではない。必ずその正しい道による。物を治めるには物にではなく人にその根本を求めて行い、人を治めるには個々の事にではなく君主に、君主を治めるには君主にではなく天子に、天子を治めるには天子にではなくその欲に、欲を治めるには欲にではなくその性(本性)に求める。性は万物の根本である。長くも短くもできず、もともとそうである性質に従ってそのようにさせる。これが天地の道理である。むき出しの肉をのぞき見てカササギが群がり、山猫が堂にいれば鼠は散り、喪服を並べれば民は喪(死)を知り、笛や琴を並べれば民は音楽(楽事)を知る。湯王・武王がその行いを修めれば天下は従い、桀・紂がその行いをおろそかにすれば天下は背いた。どうして言葉を待つ必要があろうか。君子は自分自身に備わるものを明らかにするだけである。

解説

この段は、名声は無理に求めず正しい道によると説き、物・人・君・天子・欲と原因を順にさかのぼり、最後は万物の根本である「性(本性)」に行き着くと論じます。肉に鳥が群がり、喪服が死を、楽器が楽事を告げるように、そして湯武と桀紂の例のように、実質が現れれば言葉を待たず結果が伴います。だから君子はただ己に備わる徳を明らかにすればよいと結びます。背景には、外形でなく根本を正すという思想があります。現代でも、評判や成果は宣伝より実質から生まれます。小手先の対策を追わず、根本である自分の在り方や本質を整えることが、結果的に最も確かな影響力を生むと教えてくれます。

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