呂氏春秋 / 當賞③
秦小主夫人用奄變,群賢不說自匿,百姓鬱怨非上。公子連亡在魏,聞之,欲入,因群臣與民從鄭所之塞。右主然守塞,弗入,曰:「臣有義,不兩主。公子勉去矣。」公子連去,入翟,從焉氏塞,菌改入之。夫人聞之,大駭,令吏興卒,奉命曰:「寇在邊。」卒與吏其始發也,皆曰「往擊寇」,中道因變曰:「非擊寇也,迎主君也。」公子連因與卒俱來,至雍,圍夫人,夫人自殺。公子連立,是為獻公,怨右主然而將重罪之,德菌改而欲厚賞之。監突爭之曰:「不可。秦公子之在外者眾,若此則人臣爭入亡公子矣。此不便主。」獻公以為然,故復右主然之罪,而賜菌改官大夫,賜守塞者人米二十石。獻公可謂能用賞罰矣。凡賞非以愛之也,罰非以惡之也,用觀歸也。所歸善,雖惡之賞;所歸不善,雖愛之罰;此先王之所以治亂安危也。
新字:秦小主夫人用奄変,群賢不説自匿,百姓鬱怨非上。公子連亡在魏,聞之,欲入,因群臣与民従鄭所之塞。右主然守塞,弗入,曰:「臣有義,不両主。公子勉去矣。」公子連去,入翟,従焉氏塞,菌改入之。夫人聞之,大駭,令吏興卒,奉命曰:「寇在辺。」卒与吏其始発也,皆曰「往擊寇」,中道因変曰:「非擊寇也,迎主君也。」公子連因与卒俱来,至雍,囲夫人,夫人自殺。公子連立,是為献公,怨右主然而将重罪之,徳菌改而欲厚賞之。監突争之曰:「不可。秦公子之在外者眾,若此則人臣争入亡公子矣。此不便主。」献公以為然,故復右主然之罪,而賜菌改官大夫,賜守塞者人米二十石。献公可謂能用賞罰矣。凡賞非以愛之也,罰非以悪之也,用観歸也。所歸善,雖悪之賞;所歸不善,雖愛之罰;此先王之所以治乱安危也。
書き下し
秦の小主の夫人、奄變を用う。群賢、說ばずして自ら匿れ、百姓鬱怨して上を非る。公子連、亡げて魏に在り、之を聞きて入らんと欲す。群臣と民とに因り、鄭所の塞從りす。右主然、塞を守り、入れず。曰く、「臣に義有りて、主を兩にせず。公子勉去れ。」公子連去り、翟に入りて、焉氏の塞從りす。菌改、之を入る。夫人、之を聞き、大いに駭き、吏をして卒を興し、命を奉ぜしめてて曰く、「寇、邊に在り。」卒と吏と其の始めて發するや、皆曰く、「往きて寇を撃たん。」中道にして因りて變じて曰く、「寇を撃つに非ざるなり、主君を迎うるなり。」公子連、因りて卒と俱に來たり、雍に至り、夫人を圍む。夫人自殺す。公子連立つ。是を獻公と為す。右主然を怨みて將に重く之を罪せんとし、菌改を徳として厚く之を賞せんと欲す。監突之を爭いて曰く、「不可なり。秦の公子の外に在る者は衆し。此の若ければ、則ち人臣爭いて亡公子を入れん。此れ主に便ならず。」獻公以て然りと為す。故に右主然の罪を復す。而して菌改に官大夫を賜い、守塞を守る者人ごとに米二十石を賜う。獻公は能く賞罰を用うと謂う可し。凡そ賞は之を愛するを以てするに非ざるなり。罰は之を惡むを以てするに非ざるなり。歸を觀るを用てなり。歸する所善なれば、之を惡むと雖も賞し、歸する所不善なれば、之を愛すと雖も罰す。此れ先王の亂を治め危を安んぜし所以なり。
現代語訳
秦の小主(出子)の母である夫人が奄変(宦官)を用いて政治を乱した。賢臣たちは喜ばず身を隠し、民は不満を募らせて上を非難した。公子連は魏に亡命していたが、これを聞いて入国しようとした。群臣と民を頼りに、鄭所の関所から入ろうとした。関守の右主然は関を守って入れず、「臣には義があり、二君に仕えません。公子よ、去ってください」と言った。公子連は去って翟に入り、焉氏の関所から入ろうとした。関守の菌改は彼を通した。夫人はこれを聞いて大いに驚き、役人に兵を起こさせ、「賊が国境にいる」と命じた。兵と役人は出発当初「行って賊を討とう」と言っていたが、途中で心変わりし「賊を討つのではない、主君をお迎えするのだ」と言った。公子連は兵とともに進み、雍に至って夫人を包囲した。夫人は自殺した。公子連が即位し、これが献公である。献公は右主然を恨んで重く罰しようとし、菌改を恩人として厚く賞そうとした。監突が諫めて言った、「いけません。秦の公子で国外にいる者は多い。こうすれば、臣下は争って亡命公子を入国させるでしょう。これは君主にとって不都合です」。献公はもっともだと思った。それゆえ右主然の罪を許し、菌改には官大夫を与え、関を守った者には一人ごとに米二十石を与えた。献公は賞罰をうまく用いたといえる。およそ賞は相手を愛するがゆえに与えるのではなく、罰は相手を憎むがゆえに科すのではない。行いの帰する所を見て決めるのである。帰結が善であれば、憎む相手でも賞し、帰結が不善であれば、愛する相手でも罰する。これが先王が乱を治め危うきを安んじたゆえんである。