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呂氏春秋 / 愛類①

仁於他物,不仁於人,不得為仁;不仁於他物,獨仁於人,猶若為仁。仁也者,仁乎其類者也。故仁人之於民也,可以便之,無不行也。神農之教曰:「士有當年而不耕者,則天下或受其饑矣;女有當年而不績者,則天下或受其寒矣。」故身親耕,妻親績,所以見致民利也。賢人之不遠海內之路,而時往來乎王公之朝,非以要利也,以民為務故也。人主有能以民為務者,則天下歸之矣。王也者,非必堅甲利兵選卒練士也,非必隳人之城郭、殺人之士民也。上世之王者眾矣,而事皆不同。其當世之急、憂民之利、除民之害同。

新字:仁於他物,不仁於人,不得為仁;不仁於他物,独仁於人,猶若為仁。仁也者,仁乎其類者也。故仁人之於民也,可以便之,無不行也。神農之教曰:「士有当年而不耕者,則天下或受其饑矣;女有当年而不績者,則天下或受其寒矣。」故身親耕,妻親績,所以見致民利也。賢人之不遠海內之路,而時往来乎王公之朝,非以要利也,以民為務故也。人主有能以民為務者,則天下歸之矣。王也者,非必堅甲利兵選卒練士也,非必隳人之城郭、殺人之士民也。上世之王者眾矣,而事皆不同。其当世之急、憂民之利、除民之害同。

書き下し

他物に仁にして、人に仁ならざれば、仁を為すを得ず。他物に仁ならざるも、獨り人に仁なれば、猶若ほ仁と為す。仁なる者は、其の類に仁なる者なればなり。故に仁人の民に於けるや、以て之に便す可ければ、行わざる無きなり。神農の教えに曰く、「士に當年にして耕さざる者有れば、則ち天下其の饑を受くること或らん。女に當年にして績がざる者有れば、則ち天下其の寒さを受くること或らん。」故に身親ら耕し、妻親ら績ぐは、民の利を致すを見す所以なり。賢人の海內の路を遠しとせずして、時に王公の朝に往来するは、以て利を要むるに非ざるなり。民を以て務と為すが故なり。人主能く民を以て務と為す者有れば、則ち天下之に歸せん。王なる者は、堅甲利兵・選卒練士を必とするに非ざるなり、人の城郭を隳ち、人の士民を殺すことを必とするに非ざるなり。上世の王たる者衆く、而して事皆同じからざるも、其の世の急に當り、民の利を憂い、民の害を除くは同じ。

現代語訳

他の物には仁でありながら人に仁でなければ、仁とは言えない。逆に他の物には仁でなくとも、ただ人に対して仁であれば、なお仁と言える。仁とは、その同類(人間)に対して仁であることだからだ。だから仁者は民に対して、便益を与えられるなら何でも行う。神農の教えに「男子で働き盛りなのに耕さない者がいれば、天下に飢える者が出る。女子で働き盛りなのに機織りをしない者がいれば、天下に凍える者が出る」とある。だから神農自ら耕し、妻自ら機を織ったのは、民に利益をもたらすことを示すためだ。賢人が天下の道のりを遠いともせず、時に王公の朝廷に往来するのは、利益を求めるためではなく、民のことを務めとするからだ。人の君主で民を務めとできる者がいれば、天下はそこへ帰する。王者とは、必ずしも堅い甲や鋭い武器・精鋭の兵をそろえることでも、人の城郭を壊し人の民を殺すことでもない。いにしえの王者は多く、そのやり方はみな異なったが、その時代の急務に当たり、民の利益を思い、民の害を除いた点では同じであった。

解説

「愛類」の総論で、仁とは何より同類たる人間を愛することだと説きます。物に優しくとも人に冷たければ仁ではなく、人を愛せば仁だといい、仁者は民に利があれば何でも行うとします。神農が自ら耕し妻が織ったのも、民に利をもたらす姿勢を示すため。賢人が朝廷に通うのも私利でなく民のためだと述べます。王者の条件は武力でなく、時々の急務に応じて民の利を図り害を除くこと。統治の正統性を軍事力でなく民の幸福に置く、民本主義の宣言であり、現代のリーダーシップにも通じる普遍的な価値観です。

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