呂氏春秋 / 召類④
士尹池為荊使於宋,司城子罕觴之。南家之牆,犨於前而不直;西家之潦,徑其宮而不止。士尹池問其故。司城子罕曰:「南家,工人也,為鞔者也。吾將徙之。其父曰:『吾恃為鞔以食三世矣。今徙之,是宋國之求鞔者不知吾處也。吾將不食。願相國之憂吾不食也。』為是故,吾弗徙也。西家高,吾宮庳,潦之經吾宮也利,故弗禁也。」士尹池歸荊,荊王適興兵而攻宋,士尹池諫於荊王曰:「宋不可攻也。其主賢,其相仁。賢者能得民,仁者能用人。荊國攻之,其無功而為天下笑乎!」故釋宋而攻鄭。孔子聞之曰:「夫脩之於廟堂之上,而折衝乎千里之外者,其司城子罕之謂乎?」宋在三大萬乘之間。子罕之時,無所相侵,邊境四益,相平公、元公、景公以終其身,其唯仁且節與?故仁節之為功大矣。故明堂茅茨蒿柱,土階三等,以見節儉。
新字:士尹池為荊使於宋,司城子罕觴之。南家之牆,犨於前而不直;西家之潦,径其宮而不止。士尹池問其故。司城子罕曰:「南家,工人也,為鞔者也。吾将徙之。其父曰:『吾恃為鞔以食三世矣。今徙之,是宋国之求鞔者不知吾処也。吾将不食。願相国之憂吾不食也。』為是故,吾弗徙也。西家高,吾宮庳,潦之経吾宮也利,故弗禁也。」士尹池歸荊,荊王適興兵而攻宋,士尹池諫於荊王曰:「宋不可攻也。其主賢,其相仁。賢者能得民,仁者能用人。荊国攻之,其無功而為天下笑乎!」故釈宋而攻鄭。孔子聞之曰:「夫脩之於廟堂之上,而折衝乎千里之外者,其司城子罕之謂乎?」宋在三大万乗之間。子罕之時,無所相侵,辺境四益,相平公、元公、景公以終其身,其唯仁且節与?故仁節之為功大矣。故明堂茅茨蒿柱,土階三等,以見節倹。
書き下し
士尹池、荊の為に宋に使いす。司城子罕之を觴す。南家の牆、前に犨でて直ならず。西家の潦、其の宮を徑て止まず。士尹池、其の故を問う。司城子罕曰く、「南家は工人なり。鞔を為る者なり。吾將に之を徙さんとす。其の父曰く、『吾鞔を為るを恃みて以て食らうこと三世なり。今之を徙さば、是れ宋國の鞔を求むる者、吾が處を知らざるなり。吾將に食らわざらんとす。願わくは相國の吾が食らわざるを憂えんことを。』是の故の為に、吾徙さざるなり。西家は高く、吾が宮は庳し。潦の吾が宮を經るや利なり。故に禁ぜざるなり。」士尹池、荊に歸る。荊王適々兵を興こして宋を攻めんとす。士尹池、荊王を諫めて曰く、「宋は攻む可からざるなり。其の主は賢にして、其の相は仁なり。賢者は能く民を得、仁者は能く人を用う。荊國之を攻むれば、其れ功無くして天下の笑いと為らん。」故に宋を釋てて鄭を攻む。孔子之を聞きて曰く、「夫れ之を廟堂の上に脩めて、衝を千里の外に折くとは、其れ司城子罕の謂か。」宋は三大萬乘の間に在り。子罕の時、相侵す所無く、邊境四に益し、平公・元公・景公に相として以て其の身を終ゆるは、其れ唯だ仁にして且つ節なればなるか。故に仁節の功為るや大なり。故に明堂は茅茨蒿柱、土階は三等にして、以て節儉を見わす。
現代語訳
士尹池が楚のために宋へ使者となった。司城子罕が彼をもてなした。南隣の家の塀は前に突き出て真っすぐでなく、西隣の家の雨水は子罕の屋敷を通って止まらなかった。士尹池がその理由を問うと、司城子罕は言った、「南の家は職人で、履物を作る者です。私は彼を移そうとしました。すると父親が言うには『私は履物作りで三代食べてきました。今移されれば、宋国で履物を求める者が私の居所を知らなくなり、食べていけなくなります。どうか相国が私が食べられなくなることを心配してくださいますよう』と。この理由で、私は移させなかったのです。西の家は高く、私の屋敷は低い。雨水が私の屋敷を通るのは自然にかなってよいことです。だから禁じないのです」。士尹池が楚に帰ると、楚王はちょうど兵を起こして宋を攻めようとしていた。士尹池は楚王を諫めて言った、「宋は攻めてはなりません。その君主は賢く、その宰相は仁です。賢者は民の心を得られ、仁者は人を用いられます。楚国が攻めれば、功なくして天下の笑い者になりましょう」。そこで宋を捨てて鄭を攻めた。孔子はこれを聞いて言った、「廟堂の上で修めて、千里の外の敵を退けるとは、司城子罕のことだろうか」。宋は三つの大国の間にあった。子罕の時代には侵されることなく、辺境は四方に広がり、平公・元公・景公の宰相として一生を全うしたのは、ただ仁でありかつ節度があったからだろう。だから仁と節の功は大きい。だから明堂は茅葺きに蒿の柱、土の階段は三段だけにして、質素倹約を示したのである。