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呂氏春秋 / 知分③

禹南省,方濟乎江,黃龍負舟。舟中之人,五色無主。禹仰視天而歎曰:「吾受命於天,竭力以養人。生,性也;死,命也。余何憂於龍焉?」龍俛耳低尾而逝。則禹達乎死生之分、利害之經也。凡人物者,陰陽之化也。陰陽者,造乎天而成者也。天固有衰嗛廢伏,有盛盈坌息;人亦有困窮屈匱,有充實達遂;此皆天之容、物理也,而不得不然之數也。古聖人不以感私傷神,俞然而以待耳。

新字:禹南省,方済乎江,黄竜負舟。舟中之人,五色無主。禹仰視天而歎曰:「吾受命於天,竭力以養人。生,性也;死,命也。余何憂於竜焉?」竜俛耳低尾而逝。則禹達乎死生之分、利害之経也。凡人物者,陰陽之化也。陰陽者,造乎天而成者也。天固有衰嗛廃伏,有盛盈坌息;人亦有困窮屈匱,有充実達遂;此皆天之容、物理也,而不得不然之数也。古聖人不以感私傷神,俞然而以待耳。

書き下し

禹南、方に江を濟らんとして、黄龍舟を負うを省る。舟中の人、五色主無し。禹仰ぎて天を視て歎じて曰く、「吾、命を天に受け、力を竭くして以て人を養う。生は性なり、死は命なり。余何ぞ龍に憂えん。」龍、耳を俛せ尾を低れて逝く。則ち禹は死生の分、利害の經に達したればなり。凡そ人物は、陰陽の化なり。陰陽は、天に造られて成る者なり。天は固より衰嗛廢伏有り、盛盈坌息有り。人も亦た困窮屈匱有り、充實達遂有り。此れ皆天の容、物理にして、然らざるを得ざるの數なり。古の聖人は以て私かに感じ神を傷つけず。俞然として以て待つのみ。

現代語訳

禹が南方を巡視し、まさに長江を渡ろうとしたとき、黄龍が船を背負い持ち上げた。船中の人々は顔色を失った。禹は天を仰いで嘆じた、「私は天から命を受け、力を尽くして人を養ってきた。生は性(自然)であり、死は命(天命)だ。私が龍に何を憂えよう」。龍は耳を伏せ尾を垂れて去った。つまり禹は死生の分・利害の道理に通達していたのだ。そもそも人も物も、陰陽の変化である。陰陽は天によって造られ成るものだ。天にはもともと衰えや不足・停滞があり、また盛んな充満や増大もある。人にもまた困窮・欠乏があり、充実・成就がある。これらはみな天のありよう、物の道理であって、そうならざるをえない必然である。古の聖人はこれによって私かに感じ入って精神を損なうことはせず、ゆったりと従容として時を待つだけであった。

解説

禹が黄龍に船を揺さぶられても動じなかった逸話に、陰陽の哲理を重ねた段です。要点は、生は自然、死は天命と受けとめ、盛衰・困窮も陰陽の必然だと悟れば、私情に心を痛めず従容と待てるという境地にあります。背景に、天地万物を陰陽の変化ととらえる自然観があります。個人の努力を超えた変転を必然と受け入れる姿勢は、運命論的にも見えますが、慌てず取り乱さない胆力の源でもあります。不確実な変化に動じない心の据え方として、現代の危機対応やメンタルにも通じます。

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