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呂氏春秋 / 舉難①

──以全舉人固難,物之情也。人傷堯以不慈之名,舜以卑父之號,禹以貪位之意,湯、武以放弒之謀,五伯以侵奪之事。由此觀之,物豈可全哉?故君子責人則以人,自責則以義。責人以人則易足,易足則得人;自責以義則難為非,難為非則行飾;故任天地而有餘。不肖者則不然,責人則以義,自責則以人。責人以義則難瞻,難瞻則失親;自責以人則易為,易為則行苟;故天下之大而不容也,身取危、國取亡焉,此桀、紂、幽、厲之行也。尺之木必有節目,寸之玉必有瑕瓋。先王知物之不可全也,故擇物而貴取一也。

新字:──以全舉人固難,物之情也。人傷堯以不慈之名,舜以卑父之号,禹以貪位之意,湯、武以放弒之謀,五伯以侵奪之事。由此観之,物豈可全哉?故君子責人則以人,自責則以義。責人以人則易足,易足則得人;自責以義則難為非,難為非則行飾;故任天地而有余。不肖者則不然,責人則以義,自責則以人。責人以義則難瞻,難瞻則失親;自責以人則易為,易為則行苟;故天下之大而不容也,身取危、国取亡焉,此桀、紂、幽、厲之行也。尺之木必有節目,寸之玉必有瑕瓋。先王知物之不可全也,故択物而貴取一也。

書き下し

全きを以て人を舉ぐるの固より難きは、物の情なり。人、堯を傷るに不慈の名を以てし、舜は卑父の號を以てし、禹は貪位の意を以てし、湯・武は放弒の謀を以てし、五伯は侵奪の事を以てす。此に由りて之を觀れば、物豈に全かる可けんや。故に君子は人を責むるには則ち人を以てし、自ら責むるには則ち義を以てす。人を責むるに人を以てすれば則ち足り易く、足り易ければ則ち人を得。自ら責むるに義を以てすれば則ち非を為し難く、非を為し難ければ則ち行い飾し。故に天地に任じて餘り有り。不肖者は則ち然らず。人を責むるには則ち義を以てし、自ら責むるには則ち人を以てす。人を責むるに義を以てすれば則ち瞻り難く、瞻り難ければ則ち親を失う。自ら責むるに人を以てすれば則ち為し易く、為し易ければ則ち行い苟なり。故に天下の大なるも容れざるなり。身は危を取り、國は亡を取る。此れ桀・紂・幽・厲の行いなり。尺の木にも必ず節目有り、寸の玉にも必ず瑕瓋有り。先王は物の全かる可からざるを知る。故に物を擇びて一を取るを貴ぶなり。

現代語訳

完全さを備えた人材を挙げ用いるのがもともと難しいのは、物事のありようである。人は堯を「子に慈しみがない」と非難し、舜を「父を卑しんだ」と言い、禹を「位を貪った」と言い、湯・武を「主君を追放し殺した」と言い、五伯を「侵略し奪った」と言う。こうして見れば、物事にどうして完全がありえよう。だから君子は、人を責めるときは仁(人並みの基準)で責め、自分を責めるときは義(厳しい基準)で責める。人を仁で責めれば満足しやすく、満足しやすければ人を得る。自分を義で責めれば非を犯しにくく、非を犯しにくければ行いが正しくなる。だから天地の間に身を置いて余裕がある。愚かな者はそうではない。人を責めるときは義で責め、自分を責めるときは仁で責める。人を義で責めれば満足させにくく、満足させにくければ親しい者を失う。自分を仁で責めれば安易になり、安易なら行いがいい加減になる。だから天下は広くとも彼を容れない。身は危険を招き、国は滅亡を招く。これが桀・紂・幽・厲の行いである。一尺の木にも必ず節目があり、一寸の玉にも必ず傷がある。先王は物事が完全ではありえないと知っていた。だから物を選ぶときは一つの長所を取ることを貴んだのである。

解説

この段は挙難篇の主題で、完璧な人材など存在しないと説きます。要点は、堯舜禹湯武や五覇という聖人・英雄でさえ非難を免れないのだから、君子は他人を仁の基準で寛く責め、自分を義の基準で厳しく律すべきだ、という点です。背景には、逆に他人に厳しく自分に甘い愚者は人心を失い身を滅ぼすという対比があります。木に節、玉に傷があるように、先王は一つの長所を見て人を用いたと結びます。現代でも、完璧を求めて人を減点評価すれば有為な人材を失います。他人には寛く自分には厳しく、長所で人を活かす姿勢の大切さを教えてくれます。

この一句を、あなたの毎日に。

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