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呂氏春秋 / 上德③

晉獻公為麗姬遠太子。太子申生居曲沃,公子重耳居蒲,公子夷吾居屈。麗姬謂太子曰:「往昔君夢見姜氏。」太子祠而膳於公,麗姬易之。公將嘗膳,姬曰:「所由遠,請使人嘗之。」嘗人人死,食狗狗死,故誅太子。太子不肯自釋,曰:「君非麗姬,居不安,食不甘。」遂以劍死。公子夷吾自屈奔梁。公子重耳自蒲奔翟。去翟過衛,衛文公無禮焉。過五鹿如齊,齊桓公死。去齊之曹,曹共公視其駢脅,使袒而捕池魚。去曹過宋,宋襄公加禮焉。之鄭,鄭文公不敬,被瞻諫曰:「臣聞賢主不窮窮。今晉公子之從者,皆賢者也。君不禮也,不如殺之。」鄭君不聽。去鄭之荊,荊成王慢焉。去荊之秦,秦繆公入之。晉既定,興師攻鄭,求被瞻。被瞻謂鄭君曰:「不若以臣與之。」鄭君曰:「此孤之過也。」被瞻曰:「殺臣以免國,臣願之。」被瞻入晉軍,文公將烹之。被瞻據鑊而呼曰:「三軍之士皆聽瞻也,自今以來,無有忠於其君,忠於其君者將烹。」文公謝焉,罷師,歸之於鄭。且被瞻忠於其君、而君免於晉患也,行義於鄭、而見說於文公也,故義之為利博矣。

新字:晉献公為麗姬遠太子。太子申生居曲沃,公子重耳居蒲,公子夷吾居屈。麗姬謂太子曰:「往昔君夢見姜氏。」太子祠而膳於公,麗姬易之。公将嘗膳,姬曰:「所由遠,請使人嘗之。」嘗人人死,食狗狗死,故誅太子。太子不肯自釈,曰:「君非麗姬,居不安,食不甘。」遂以剣死。公子夷吾自屈奔梁。公子重耳自蒲奔翟。去翟過衛,衛文公無礼焉。過五鹿如斉,斉桓公死。去斉之曹,曹共公視其駢脅,使袒而捕池魚。去曹過宋,宋襄公加礼焉。之鄭,鄭文公不敬,被瞻諫曰:「臣聞賢主不窮窮。今晉公子之従者,皆賢者也。君不礼也,不如殺之。」鄭君不聴。去鄭之荊,荊成王慢焉。去荊之秦,秦繆公入之。晉既定,興師攻鄭,求被瞻。被瞻謂鄭君曰:「不若以臣与之。」鄭君曰:「此孤之過也。」被瞻曰:「殺臣以免国,臣願之。」被瞻入晉軍,文公将烹之。被瞻拠鑊而呼曰:「三軍之士皆聴瞻也,自今以来,無有忠於其君,忠於其君者将烹。」文公謝焉,罷師,歸之於鄭。且被瞻忠於其君、而君免於晉患也,行義於鄭、而見説於文公也,故義之為利博矣。

書き下し

晉の獻公、麗姬の為に太子を遠ざく。太子申生は曲沃に居り、公子重耳は蒲に居り、公子夷吾は屈に居る。麗姬、太子に謂いて曰く、「往昔、君夢に姜氏を見たり。」太子祠りて公に膳す。麗姬之を易う。公將に膳を嘗めんとす。姬曰く、「由る所遠し。請う人をして之を嘗めしめよ。」人に嘗めしむれば人死し、狗に食わしむれば狗死す。故に太子を誅す。太子肯て自ら釋かず。曰く、「君、麗姬に非ずんば、居安からず、食甘からず。」遂に劍を以て死す。公子夷吾、屈自り梁に奔る。公子重耳、蒲自り翟に奔る。翟を去り衛を過ぐ。衛の文公、禮無し。五鹿を過ぎ齊に如く。齊の桓公死し、齊を去り曹に之く。曹の共公、其の駢脅を視んとし、袒して池魚を捕えしむ。曹を去り宋を過ぐ。宋の襄公、禮を加う。鄭に之く。鄭の文公、敬せず、被瞻諫めて曰く、「臣聞く、賢主は窮に窮せず、と。今、晉の公子の從者は、皆賢者なり。君禮せざるや、之を殺すに如かず。」鄭君聽かず。鄭を去り荊に之く。荊の成王、焉を慢る。荊を去り秦に之く。秦の繆公之を入る。晉既に定まれり、師を興して鄭を攻め、被瞻を求む。被瞻、鄭君に謂いて曰く、「臣を以て之に與うるに若かず。」鄭君曰く、「此れ孤の過ちなり。」被瞻曰く、「臣を殺して以て國を免れしめよ。臣之を願う。」被瞻、晉軍に入る。文公將に之を烹んとす。被瞻、鑊に據りて呼びて曰く、「三軍の士、皆瞻に聽け。今自り以來、其の君に忠有るもの無し。其の君に忠なる者は將に烹られんとす。」文公謝し、師を罷めて、之を鄭に歸す。且に被瞻、其の君に忠にして、君は晉の患いを免れたるなり。義を鄭に行い、文公に説ばれたるなり。故に義の利為ること博し。

現代語訳

晋の献公は寵姫の驪姫のために太子らを遠ざけた。太子申生は曲沃、公子重耳は蒲、公子夷吾は屈にいた。驪姫は太子に「先ごろ王が夢に亡母の姜氏を見た」と言い、太子は祭って献公に供え物をした。驪姫はそれに毒を仕込んだ。献公が食べようとすると、驪姫は「遠くから来た物です。人に毒味させましょう」と言い、人に食べさせると人が死に、犬に食べさせると犬が死んだ。こうして太子は罪に問われ、申生は弁明せず「王は驪姫がいなければ安らげず食も進まぬ」と言って剣で自害した。夷吾は屈から梁へ、重耳は蒲から翟へ亡命した。重耳は翟を出て衛を通ったが衛の文公は無礼で、五鹿を過ぎ斉へ行くと桓公は死に、斉を去って曹へ行くと曹の共公は重耳のあばら骨を見ようと裸にして池の魚を捕らせた。曹を去り宋を通ると宋の襄公は礼を尽くした。鄭へ行くと鄭の文公は敬わず、臣の被瞻が「賢主は困窮者を追い詰めぬもの。今の晋公子の従者は皆賢者です。礼遇しないなら殺すに越したことはありません」と諫めたが、鄭君は聴かなかった。鄭を去り荊へ行くと成王は侮り、荊を去り秦へ行くと繆公が迎え入れた。やがて重耳(文公)が晋を定めると、軍を起こして鄭を攻め被瞻を求めた。被瞻は鄭君に「私を引き渡すに越したことはありません」と言った。鄭君が「これは私の過ちだ」と言うと、被瞻は「私を殺して国を救ってください。それが私の願いです」と言い、晋軍に入った。文公が彼を釜ゆでにしようとすると、被瞻は釜に手をかけ叫んだ。「三軍の兵よ、みな聞け。今より後、君に忠であってはならぬ。君に忠なる者はこうして煮られるのだ」。文公は詫びて軍を退き、被瞻を鄭に帰した。被瞻は君に忠を尽くして君を晋の禍から救い、鄭に義を行って文公にも認められた。だから義の利益は広大なのである。

解説

この段は、重耳(後の晋文公)の長い亡命遍歴と、鄭の臣被瞻の義を描きます。要点は、被瞻が自ら人質・犠牲となって主君と国を救い、しかも敵の文公にも「忠を罰するのか」と迫って認めさせた点にあります。背景には、亡命公子への各国の対応の差が後の外交を左右した史実があり、義は敵味方を超えて広く利益をもたらすと論じます。前半の驪姫の讒言による太子申生の死は、無実でも弁明せぬ純孝の悲劇として対照的です。現代でも、信義に基づく行動は敵対者からの敬意さえ引き出し、長期的な利益になることを示します。

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