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呂氏春秋 / 具備①

──今有羿、逢蒙,繁弱於此,而無弦,則必不能中也。中非獨弦也,而弦為弓中之具也。夫立功名亦有具,不得其具,賢雖過湯、武,則勞而無功矣。湯嘗約於郼薄矣,武王嘗窮於畢裎矣,伊尹嘗居於庖廚矣,太公嘗隱於釣魚矣,賢非衰也,智非愚也,皆無其具也。故凡立功名,雖賢必有其具然後可成。

新字:──今有羿、逢蒙,繁弱於此,而無弦,則必不能中也。中非独弦也,而弦為弓中之具也。夫立功名亦有具,不得其具,賢雖過湯、武,則労而無功矣。湯嘗約於郼薄矣,武王嘗窮於畢裎矣,伊尹嘗居於庖廚矣,太公嘗隠於釣魚矣,賢非衰也,智非愚也,皆無其具也。故凡立功名,雖賢必有其具然後可成。

書き下し

今、羿・逢蒙・繁弱此に有れども、弦無ければ則ち必ず中たること能わざるなり。中たるは獨り弦のみに非ざるなり。而して弦は中たるを爲すの具なり。夫れ功名を立つるも亦た具有り。其の具を得ざれば、賢なること湯・武に過ぐと雖も、則ち勞して功無からん。湯は嘗て郼薄に約し、武王は嘗て畢裎に窮し、伊尹は嘗て庖廚に居り、太公は嘗て釣魚に隱る。賢、衰うるに非ざるなり、智、愚なるに非ざるなり。皆其の具無ければなり。故に凡そ功名を立つるには、賢なりと雖も必ず其の具有りて然る後に成る可し。

現代語訳

今、名射手の羿や逢蒙、名弓の繁弱がここにあっても、弦がなければ必ず的に当てることはできない。的に当てるのは弦だけの働きではないが、弦は的に当てるための道具である。そもそも功績や名声を立てるにも道具がある。その道具を得られなければ、賢さが湯王や武王に勝っていても、苦労するばかりで功はない。湯王はかつて郼薄で窮乏し、武王はかつて畢裎で困窮し、伊尹はかつて料理番をつとめ、太公はかつて釣りをして世を避けていた。賢さが衰えていたのではなく、知恵が愚かだったのでもない。みなその道具がなかったからである。だから功名を立てるには、賢者であっても必ずその道具があって初めて成し遂げられるのである。

解説

この段は具備篇の総論で、功名を立てるには賢さだけでなく、それを実現する条件や手立て(具)が必要だと説きます。名射手も弦のない弓では的に当てられないように、湯王・武王・伊尹・太公といった聖賢も、時機や地位という条件が整うまでは不遇でした。要点は、才能や志があっても、それを発揮する環境や機会がなければ成果は生まれないということです。人材と条件の両輪を重んじる思想が背景にあります。現代でも、優秀な人が能力を発揮できるかは、任せられる権限、資源、支える体制といった条件に大きく左右されます。人を活かすには、才を求めるだけでなく、その才が働く場を整えることが不可欠だと教える一段です。

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