呂氏春秋 / 離謂⑤
齊有事人者,所事有難而弗死也,遇故人於塗。故人曰:「固不死乎?」對曰:「然。凡事人以為利也。死不利,故不死。」故人曰:「子尚可以見人乎?」對曰:「子以死為顧可以見人乎?」是者數傳。不死於其君長,大不義也,其辭猶不可服,辭之不足以斷事也明矣。夫辭者,意之表也。鑒其表而棄其意,悖。故古之人,得其意則舍其言矣。聽言者以言觀意也。聽言而意不可知,其與橋言無擇。
新字:斉有事人者,所事有難而弗死也,遇故人於塗。故人曰:「固不死乎?」対曰:「然。凡事人以為利也。死不利,故不死。」故人曰:「子尚可以見人乎?」対曰:「子以死為顧可以見人乎?」是者数伝。不死於其君長,大不義也,其辞猶不可服,辞之不足以断事也明矣。夫辞者,意之表也。鑒其表而棄其意,悖。故古之人,得其意則舎其言矣。聴言者以言観意也。聴言而意不可知,其与橋言無択。
書き下し
齊に人に事うる者有り。事うる所、難有れども死せざるなり。故人に塗に遇う。故人曰く、「固に死せざるか。」對えて曰く、「然り。凡そ人に事うるは以て利を爲せばなり。死は利ならず。故に死せず。」故人曰く、「子は尚ほ人を見る可きか。」對えて曰く、「子は死を以て顧って以て人を見る可しと爲すか。」是の者數傳す。其の君長に死せざるは、大不義なり。其の辭は猶ほ服す可からず。辭の以て事を斷ずるに足らざるや、明らかなり。夫れ辭は、意の表なり。其の表を鑒みて其の意を棄つるは、悖れり。故に古の人は、其の意を得れば、則ち其の言を舎つ。言を聽く者は言を以て意を觀るなり。言を聽けども意知る可からざるは、其れ橋言と擇ぶこと無し。
現代語訳
斉にある人に仕える者がいた。仕える主君に難事があっても殉死しなかった。旧友に道で出会った。旧友が「本当に死ななかったのか」と言うと、その者は答えた、「そうだ。そもそも人に仕えるのは利益のためだ。死は利益にならない。だから死ななかった。」旧友が「それでもお前は人に顔向けできるのか」と言うと、答えた、「お前は死ねば人に顔向けできると思うのか。」こうした問答が何度も繰り返された。主君に殉じないのは大きな不義である。その言い分はやはり承服できない。言葉だけでは事の善悪を判断できないことは明らかである。そもそも言葉は意味の表れである。その表れを見てその意味を捨てるのは、道理に反する。だから古の人は、その意味をつかめば言葉の方は捨てた。言葉を聞く者は言葉を通して意味を見る。言葉を聞いても意味が分からなければ、それは誤った言葉と選ぶところがない。