呂氏春秋 / 精諭③
孔子見溫伯雪子,不言而出。子貢曰:「夫子之欲見溫伯雪子好矣,今也見之而不言,其故何也?」孔子曰:「若夫人者,目擊而道存矣,不可以容聲矣。」故未見其人而知其志,見其人而心與志皆見,天符同也。聖人之相知,豈待言哉?
新字:孔子見温伯雪子,不言而出。子貢曰:「夫子之欲見温伯雪子好矣,今也見之而不言,其故何也?」孔子曰:「若夫人者,目擊而道存矣,不可以容声矣。」故未見其人而知其志,見其人而心与志皆見,天符同也。聖人之相知,豈待言哉?
書き下し
孔子、溫伯雪子を見、言わずして出づ。子貢曰く、「夫子の溫伯雪子を見んと欲すること好だし。今や之を見れども言わず。其の故は何ぞや。」孔子曰く、「夫の人の若きは、目撃ちて道存す。以て聲を容る可からず。」故に未だ其の人を見ずして其の志を知り、其の人を見て心と志皆見ゆ。天符同じければなり。聖人の相知るは、豈に言を待たんや。
現代語訳
孔子が温伯雪子に会ったが、ものを言わずに退出した。子貢が言った、「先生が温伯雪子に会いたがっておられたことは甚だしいものでした。今お会いになったのに言葉を交わされない。なぜでしょうか。」孔子は言った、「あのような人は、目が合っただけで道が備わっている。言葉をさしはさむ余地がないのだ。」だから、まだその人に会わないうちにその志を知り、会えば心も志もすべて見て取れる。天から授かった資質が同じだからである。聖人が互いに理解し合うのに、どうして言葉を必要としようか。
解説
この段は、孔子が温伯雪子と会っても一言も交わさずに退出した逸話です。子貢が理由を問うと、孔子は、あれほどの人物は目を合わせただけで道が備わっており言葉は不要だと答えます。要点は、真に優れた者どうしは対面した瞬間に互いの人となりを見抜き、説明を要しないということです。声なきところに通じ合う精諭篇の理想を、孔子の権威で裏づけた背景があります。現代でも、一流の人物どうしが初対面で瞬時に理解し合う場面はあります。饒舌に説明を重ねるより、佇まいや眼差しに人格がにじみ出ることの方が雄弁な場合があります。言葉を超えた相互理解の境地を示す一段です。