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呂氏春秋 / 愼勢⑦

齊簡公有臣曰諸御鞅,諫於簡公曰:「陳成常與宰予,之二臣者甚相憎也,臣恐其相攻也。相攻唯固則危上矣。願君之去一人也。」簡公曰:「非而細人所能識也。」居無幾何,陳成常果攻宰予於庭,即簡公於廟。簡公喟焉太息曰:「余不能用鞅之言,以至此患也。」失其數,無其勢,雖悔無聽鞅也與無悔同,是不知恃可恃而恃不恃也。周鼎著象,為其理之通也。理通,君道也。

新字:斉簡公有臣曰諸御鞅,諫於簡公曰:「陳成常与宰予,之二臣者甚相憎也,臣恐其相攻也。相攻唯固則危上矣。願君之去一人也。」簡公曰:「非而細人所能識也。」居無幾何,陳成常果攻宰予於庭,即簡公於廟。簡公喟焉太息曰:「余不能用鞅之言,以至此患也。」失其数,無其勢,雖悔無聴鞅也与無悔同,是不知恃可恃而恃不恃也。周鼎著象,為其理之通也。理通,君道也。

書き下し

齊の簡公に臣有り、諸御鞅と曰う。簡公を諫めて曰く、「陳成常と宰予との二臣は、甚だ相憎む。臣其の相攻むるを恐るるなり。相攻むること唯れ固なれば則ち上を危くせん。願わくは君の一人を去らんことを。」簡公曰く、「而が細人の能く識る所に非ざるなり。」居ること幾何も無くして、陳成常果して宰予を庭に攻め、簡公に廟に即く。簡公喟焉として太息して曰く、「余、鞅の言を用うること能わず、以て此の患を至すなり。」其の數を失し、其の勢無ければ、鞅に聽くこと無きを悔ゆと雖も、悔ゆる無きと同じ、是れ恃む可きを恃むことを知らずして、恃まざるを恃むなり。周鼎の象を著わすは、其の理の通ずるが為なり。理通ずるは、君道なり。

現代語訳

斉の簡公に諸御鞅という臣がいて、簡公を諫めて言った。陳成常と宰予、この二人の臣はひどく憎み合っています。私は彼らが攻め合うことを恐れます。攻め合ってどちらも意地を張れば、君の身を危うくするでしょう。どうか一方をお除きください、と。簡公は、お前のような取るに足らぬ者に分かることではない、と言った。いくらも経たぬうちに、陳成常は案の定、宰予を朝廷の庭で攻め、簡公を宗廟で殺した。簡公はああと大きくため息をついて言った。わしは鞅の言葉を用いることができず、この災いを招いてしまった、と。しかし統御の術を失い、勢いをも失った以上、鞅の言を聴かなかったことを悔いても、悔いないのと同じことだ。これは、頼みにすべきものすなわち勢と術を頼みにすることを知らず、頼みにならぬものを頼みにしていたのである。周の鼎に怪物のかたちを刻んでいるのは、その道理を通わせるためである。道理を通わせること、それこそが君主の道である。

解説

愼勢篇を締めるこの段は、斉の簡公が臣・諸御鞅の諫言を取るに足らぬ者の言と退け、権臣陳成常に殺された史実を描きます。簡公は後悔しますが、すでに統御の術も勢いも失った後では、悔いても手遅れでした。呂氏春秋はこれを、頼むべきものを頼まず、頼めぬものを頼んだ失敗と総括します。争う臣を放置すれば主が危うくなるという危険の芽を、地位や慣れに頼って軽んじた点に君主の誤りがありました。潜在的なリスクの警告を軽視し、権力の惰性に頼ると取り返しがつかなくなるという教訓は、リスク管理と権力の均衡を重んじる現代の組織運営にも痛切に通じます。

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