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呂氏春秋 / 知度③

人主自智而愚人,自巧而拙人,若此則愚拙者請矣,巧智者詔矣。詔多則請者愈多矣,請者愈多,且無不請也。主雖巧智,未無不知也。以未無不知,應無不請,其道固窮。為人主而數窮於其下,將何以君人乎?窮而不知其窮,其患又將反以自多,是之謂重塞之主,無存國矣。故有道之主,因而不為,責而不詔,去想去意,靜虛以待,不伐之言,不奪之事,督名審實,官使自司,以不知為道,以柰何為實。堯曰「若何而為及日月之所燭」?舜曰「若何而服四荒之外」?禹曰「若何而治青北、化九陽、奇怪之所際」?

新字:人主自智而愚人,自巧而拙人,若此則愚拙者請矣,巧智者詔矣。詔多則請者愈多矣,請者愈多,且無不請也。主雖巧智,未無不知也。以未無不知,応無不請,其道固窮。為人主而数窮於其下,将何以君人乎?窮而不知其窮,其患又将反以自多,是之謂重塞之主,無存国矣。故有道之主,因而不為,責而不詔,去想去意,静虚以待,不伐之言,不奪之事,督名審実,官使自司,以不知為道,以柰何為実。堯曰「若何而為及日月之所燭」?舜曰「若何而服四荒之外」?禹曰「若何而治青北、化九陽、奇怪之所際」?

書き下し

人主自ら智として人を愚とし、自ら巧なりとして人を拙しとす、此くの若ければ則ち愚拙の者請い、巧智の者詔う。詔うること多ければ則ち請う者愈々多し。請う者愈々多ければ、且に請わざる無からんとす。主、巧智なりと雖も、未だ知らざる無きにあらざるなり。未だ知らざる無きにあらざるを以て、請わざる無きに應ずれば、其の道固より窮す。人主と為りて、數々其の下に窮すれば、將に何を以て人に君たらんとするや。窮すれども其の窮するを知らず、其の患、又將に反って以て自ら多とせんとす。是を之れ重塞の主と謂う。國を存すること無し。故に有道の主は、因りて為さず、責めて詔えず、想を去り意を去り、靜虚にして以て待し、之が言を代わらず、之が事を奪わず、名を督し實を審らかにし、官自らして司らしむ,知らざるを以て道と為し、柰何を以て寶と為す。堯曰く、「若何にして日月の燭らす所に及ぶことを為さん。」舜曰く、「若何にして四荒の外を服せん。」禹曰く、「若何にして青丘を治め、九陽・奇肱の際する所を化せん。」

現代語訳

君主が自分を賢いとして他人を愚かとみなし、自分を器用として他人を不器用とみなせば、愚かで不器用とされた臣下は指図を仰ぎ、賢く器用とされた君主は教え示す。教え示すことが多ければ、指図を仰ぐ者はますます多くなり、指図を仰ぐ者がますます多くなれば、ついには何もかも仰がずにはいられなくなる。君主がいかに賢く器用でも、知らないことがまったくないわけではない。知らないことがないわけではないのに、何もかも仰いでくる求めに応じようとすれば、その道はもともと行き詰まる。君主でありながら、たびたび臣下に対して行き詰まれば、どうやって人の上に立てようか。行き詰まっていながらその行き詰まりに気づかず、あろうことかかえって自分を偉いとうぬぼれる。これを二重にふさがった君主といい、国を保つことはできない。だから道を体得した君主は、人に因り任せてみずから手を下さず、責任を問うても手取り足取り教えず、思いこみやはからいを捨て、静かに虚しくかまえて待ち、臣下の言葉を代わってやらず、臣下の仕事を取り上げず、名目を正して実際を明らかにし、役人にみずから受け持たせ、自分は知らないことを道とし、どうしたものかと問うことを宝とする。堯は、どうしたら日月の照らすところすべてに恵みを及ぼせるか、と問い、舜は、どうしたら四方の果ての外まで従わせられるか、と問い、禹は、どうしたら東の青丘を治め、南の九陽と西の奇肱の境まで感化できるか、と問うたのである。

解説

この段は、君主が自分の賢さを誇り臣下を見下すと、かえって統治が行き詰まると説きます。君主が何でも教え示せば臣下は何でも指図を仰ぐようになり、全知でない君主はやがて答えに窮し、それに気づかず自惚れる者を重塞の主と呼んで、国を保てないと断じます。対して有道の君主は、思いこみを捨てて静かに待ち、名と実を照らして役人に委ね、知らないことを道とし、どうすべきかと問うことを宝とします。堯・舜・禹でさえ独断せず問いを立てた、という結びが印象的です。自分の万能を誇らず、問いを持ち人に委ねる謙虚さこそ賢明なリーダーの条件だという教えは、現代の組織運営にも通じます。

この一句を、あなたの毎日に。

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