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呂氏春秋 / 君守①

──得道者必靜。靜者無知,知乃無知,可以言君道也。故曰中欲不出謂之扃,外欲不入謂之閉。既扃而又閉:天之用密,有准不以平,有繩不以正;天之大靜,既靜而又寧,可以為天下正。身以盛心,心以盛智,智乎深藏,而實莫得窺乎。鴻範曰:「惟天陰騭下民。」陰之者,所以發之也。故曰不出於戶而知天下,不窺於牖而知天道。其出彌遠者,其知彌少,故博聞之人、彊識之士闕矣,事耳目、深思慮之務敗矣,堅白之察、無厚之辯外矣。不出者,所以出之也;不為者,所以為之也。此之謂以陽召陽,以陰召陰。東海之極,水至而反;夏熱之下,化而為寒。故曰天無形,而萬物以成;至精無象,而萬物以化;大聖無事,而千官盡能。此乃謂不教之教,無言之詔。故有以知君之狂也,以其言之當也;有以知君之惑也,以其言之得也。君也者,以無當為當,以無得為得者也。當與得不在於君,而在於臣。故善為君者無識,其次無事。有識則有不備矣,有事則有不恢矣。不備不恢,此官之所以疑,而邪之所從來也。今之為車者,數官然後成。夫國豈特為車哉?眾智眾能之所持也,不可以一物一方安車也。

新字:──得道者必静。静者無知,知乃無知,可以言君道也。故曰中欲不出謂之扃,外欲不入謂之閉。既扃而又閉:天之用密,有准不以平,有繩不以正;天之大静,既静而又寧,可以為天下正。身以盛心,心以盛智,智乎深蔵,而実莫得窺乎。鴻範曰:「惟天陰騭下民。」陰之者,所以発之也。故曰不出於戶而知天下,不窺於牖而知天道。其出弥遠者,其知弥少,故博聞之人、彊識之士闕矣,事耳目、深思慮之務敗矣,堅白之察、無厚之辯外矣。不出者,所以出之也;不為者,所以為之也。此之謂以陽召陽,以陰召陰。東海之極,水至而反;夏熱之下,化而為寒。故曰天無形,而万物以成;至精無象,而万物以化;大聖無事,而千官尽能。此乃謂不教之教,無言之詔。故有以知君之狂也,以其言之当也;有以知君之惑也,以其言之得也。君也者,以無当為当,以無得為得者也。当与得不在於君,而在於臣。故善為君者無識,其次無事。有識則有不備矣,有事則有不恢矣。不備不恢,此官之所以疑,而邪之所従来也。今之為車者,数官然後成。夫国豈特為車哉?眾智眾能之所持也,不可以一物一方安車也。

書き下し

道を得る者は必ず靜なり。靜なる者は知ること無し。知りて乃ち知ること無ければ、以て君の道と言う可きなり。故に曰く、「中に出でざらんと欲す、之を扃と謂う。外に入らざらんと欲す、之を閉と謂う。既に扃して又閉ず。天の用は密なり、准有れども以て平らかにせず。繩有れども以て正さず。天の大は靜なり、既に靜にして又寧なれば、以て天下の正と為す可し。身は以て心を盛り、心は以て智を盛る。智や深く藏れて、實に窺うを得ること莫からんか。鴻範に曰く、「惟れ天、下民を陰隲す。」之を陰にするは、之を發する所以なり。故に曰く、「戶を出でずして天下を知り、牖を窺わずして天道を知る。其の出づること彌々遠ければ、其の知ること彌々少し。」故に博聞の人、彊識の士は闕け、耳目を事とし、思慮を深くするの務めは敗れ、堅白の察、無厚の辯外る。出ださざるは、之を出だす所以なり。為さざるは、之を為す所以なり。此を之れ陽を以て陽を召き、陰を以て陰を召くと謂う。東海の極、水至りて反り、夏熱の下、化して寒と為る。故に曰く、「天は形無くして、萬物以て成り、至精は象無くして、萬物以て化し、大聖事無くして、千官能を盡くす。」此れ乃ち不教の教、無言の詔と謂う。故に以て君の狂を知ること有るは、其の言の當るを以てなり。以て君の惑を知ること有るは、其の言の得るを以てなり。君なる者は、當たること無きを以て當ると為し、得ること無きを以て得ると為す者なり。當ると得るとは君に在らずして、臣に在り。故に善く君為る者は識る無く、其の次は事無し。識ること有らば則ち備わらざる有り。事有れば則ち恢わらざる有り。備わらず、恢わらざるは、此れ官の疑う所以にして、邪の從りて來たる所なり。今の車を為る者は、數官にして然る後成る。夫れ國は豈に特に車を為るのみならんや。衆智衆能の持する所なり。一物一方を以て車を安んず可からざるなり。

現代語訳

道を体得した者は必ず静かである。静かな者は小賢しく知ろうとせず、知っていてもあえて知らぬかのようにする。そうであってこそ君主の道を語れる。だから、内なる欲を外に出すまいとするのを扃といい、外の欲を内に入れまいとするのを閉という。すでに扃じ、さらに閉ざす。天のはたらきは奥深く、水準器があっても平らにせず、墨縄があっても正そうとはしない。天の大いなる静けさは、静かでしかも安らかであればこそ、天下の主となりうる。身は心を容れ、心は知を容れる。その知は深く隠れて、実際には誰もうかがい知ることができない。洪範に、天はひそかに下々の民を安んずるとある。ひそかにするのは、かえってそれを発揮するためである。だから、戸口を出ずに天下を知り、窓からのぞかずに天の道を知る、出ていくことが遠ければ遠いほど知ることは少なくなる、という。こうして博識強記の士も用をなさず、耳目に頼り思慮をこらす努めもむだになり、堅白同異や無厚といった小賢しい弁論も的外れとなる。外に出さないのはかえって発揮するためであり、手を下さないのはかえって成し遂げるためである。これを、陽をもって陽を招き、陰をもって陰を招くという。東海の果てでは水は行き着いて返し、夏の暑さの極みではやがて転じて寒となる。だから、天は形がなくとも万物はそれによって成り、至上の精は象がなくとも万物はそれによって変化し、大聖は事を構えずとも多くの役人が能を尽くす、という。これこそ、教えざる教え、言わざる詔である。君主の愚かさを知るのはその言葉が的中するからであり、君主の惑いを知るのはその言葉が言い当てるからだ。君主というものは、みずから当てないことを当てとし、みずから得ないことを得とする者である。的中と獲得は君主にではなく臣下にある。だからよく君主たる者は自分ではあれこれ知ろうとせず、その次の者でも自分では事を構えない。知ろうとすれば手落ちが出、事を構えれば行き届かぬところが出る。手落ちがあり行き届かぬのは、役人が迷い、邪悪が入り込む原因となる。今、車を作るにも幾つもの職人がそろって初めて仕上がる。まして国は、車を作るどころの話ではない。多くの知恵と多くの能力が支えるものであって、一つの物、一つのやり方で車を仕立てるようにはいかないのである。

解説

君守篇のこの段は、君主が自ら知り事を構えるのをやめ、静けさに徹して臣下に成果を委ねる無為の統治を説きます。天が水準器や墨縄を使わずとも万物を成すように、君主は内外の欲を閉ざし、知を深く隠して動かないことでかえって全体を機能させます。戸を出でずして天下を知るという老子的な句を引き、耳目や博識・弁論に頼る政治を退ける点に、道家思想を強く受けた呂氏春秋の立場が表れています。的中や成果は臣下に属し、君主は成果を独占しないという発想は、リーダーが自ら答えを出すより問いと環境を整え、専門家に委ねて組織全体の力を引き出すという現代の委任型リーダーシップに通じます。

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