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呂氏春秋 / 察微①

使治亂存亡若高山之與深谿,若白堊之與黑漆,則無所用智,雖愚猶可矣。且治亂存亡則不然,如可知、如可不知,如可見、如可不見。故智士賢者相與積心愁慮以求之,猶尚有管叔、蔡叔之事與東夷八國不聽之謀。故治亂存亡,其始若秋毫。察其秋毫,則大物不過矣。

新字:使治乱存亡若高山之与深谿,若白堊之与黒漆,則無所用智,雖愚猶可矣。且治乱存亡則不然,如可知、如可不知,如可見、如可不見。故智士賢者相与積心愁慮以求之,猶尚有管叔、蔡叔之事与東夷八国不聴之謀。故治乱存亡,其始若秋毫。察其秋毫,則大物不過矣。

書き下し

治亂存亡をして高山と深谿との若く、白堊と黑漆との若くならしめば、則ち智を用うる所無し、愚と雖も猶ほ可なり。且つ治亂存亡は則ち然らず、知る可きが如く、知らざる可きが如く、見る可きが如く、見ざる可きが如し。故に智士賢者は相與に積心愁慮して以て之を求むれども、猶尚ほ管叔・蔡叔の事と、東夷八國聽かざるの謀と有り。故に治亂存亡は、其の始めは秋毫の若し。其の秋毫を察すれば、則ち大物は過たず。

現代語訳

もし治乱存亡が、高い山と深い谷ほど、白い土と黒い漆ほどに一目瞭然なら、知恵を働かせる必要はなく、愚者でも足りる。だが治乱存亡はそうではなく、分かるようで分からず、見えるようで見えない。だから知者や賢者が心を尽くし思い悩んで見極めようとしても、なお管叔・蔡叔の反乱や、東夷八国が従わぬ謀のようなこと、すなわち周公ですら見抜けなかった事態が起こる。ゆえに治乱存亡は、その始まりは秋の毛のように微細である。その微細な兆しを察知すれば、大事を見誤ることはない。

解説

治乱存亡の兆しは秋毫のように微かで、それを察知することが肝要だと説く篇の総論です。存亡が白黒はっきりしていれば愚者でも分かるが、実際は判然としません。周公ですら管叔・蔡叔の乱を防げなかった例を挙げ、見極めの難しさを示します。だからこそ、ごく小さな兆候の段階で本質を見抜けば、大きな判断を誤らないと説きます。問題が微細なうちに気づくことの価値は、リスク管理や危機の予防を重んじる現代の組織運営にも直結する教えとなっています。

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