呂氏春秋 / 觀世①
天下雖有有道之士,國猶少。千里而有一士,比肩也;累世而有一聖人,繼踵也。士與聖人之所自來,若此其難也,而治必待之,治奚由至?雖幸而有,未必知也,不知則與無賢同。此治世之所以短,而亂世之所以長也。故王者不四,霸者不六,亡國相望,囚主相及。得士則無此之患。此周之所封四百餘,服國八百餘,今無存者矣,雖存皆嘗亡矣。賢主知其若此也,故日慎一日,以終其世。譬之若登山,登山者,處已高矣,左右視,尚巍巍焉山在其上。賢者之所與處,有似於此。身已賢矣,行已高矣,左右視,尚盡賢於己。故周公旦曰:“不如吾者,吾不與處,累我者也;與我齊者,吾不與處,無益我者也。”惟賢者必與賢於己者處。賢者之可得與處也,禮之也。主賢世治,則賢者在上;主不肖世亂,則賢者在下。今周室既滅,天子既廢。亂莫大於無天子,無天子則彊者勝弱,眾者暴寡,以兵相剗,不得休息,而佞進,今之世當之矣。故欲求有道之士,則於江河之上,山谷之中,僻遠幽閒之所,若此則幸於得之矣。太公釣於滋泉,遭紂之世也,故文王得之。文王千乘也,紂天子也,天子失之,而千乘得之,知之與不知也。諸眾齊民,不待知而使,不待禮而令;若夫有道之士,必禮必知,然後其智能可盡也。
新字:天下雖有有道之士,国猶少。千里而有一士,比肩也;累世而有一聖人,継踵也。士与聖人之所自来,若此其難也,而治必待之,治奚由至?雖幸而有,未必知也,不知則与無賢同。此治世之所以短,而乱世之所以長也。故王者不四,覇者不六,亡国相望,囚主相及。得士則無此之患。此周之所封四百余,服国八百余,今無存者矣,雖存皆嘗亡矣。賢主知其若此也,故日慎一日,以終其世。譬之若登山,登山者,処已高矣,左右視,尚巍巍焉山在其上。賢者之所与処,有似於此。身已賢矣,行已高矣,左右視,尚尽賢於己。故周公旦曰:“不如吾者,吾不与処,累我者也;与我斉者,吾不与処,無益我者也。”惟賢者必与賢於己者処。賢者之可得与処也,礼之也。主賢世治,則賢者在上;主不肖世乱,則賢者在下。今周室既滅,天子既廃。乱莫大於無天子,無天子則彊者勝弱,眾者暴寡,以兵相剗,不得休息,而佞進,今之世当之矣。故欲求有道之士,則於江河之上,山谷之中,僻遠幽閒之所,若此則幸於得之矣。太公釣於滋泉,遭紂之世也,故文王得之。文王千乗也,紂天子也,天子失之,而千乗得之,知之与不知也。諸眾斉民,不待知而使,不待礼而令;若夫有道之士,必礼必知,然後其智能可尽也。
書き下し
天下に有道の士有りと雖も、國には猶ほ少し。千里にして一士有るは、肩を比ぶるなり。世を累ねて一聖人有るは、踵を繼ぐなり。士と聖人との自りて來たる所、此くの若く其れ難し。而して治は必ず之を待つ、治奚に由りてか至らん。幸いにして有りと雖も、未だ必ずしも知らず。知らざれば則ち賢無きと同じ。此れ治世の短き所以にして、亂世の長き所以なり。故に王者は四ならず、霸者は六ならず、亡國相望み、囚主相及ぶ。士を得れば則ち此の患無し。此れ周の封ずる所四百餘にして、服國八百餘なるも、今存する者無し。存すと雖も皆嘗て亡びしなり。賢主は其の此くの若きを知るなり。故に日に一日を慎み、以て其の世を終う。之を譬うれば山に登るが若し。山に登る者、處ること已に高きも、左右に視るに、尚ほ巍巍焉として山其の上に在り。賢者の與に處る所、此に似たる有り。身已に賢にして、行い已に高きも、左右に視るに、尚ほ盡く己に賢れり。故に周公旦曰く、「吾に如かざる者は、吾與に處らず。我を累する者なればなり。我と齊しき者は、吾與に處らず。我を益すること無き者なればなり。」惟だ賢者のみ必ず己に賢る者と處る。賢者の得て與に處る可きは、之を禮すればなり。主賢にして世治まれば、則ち賢者上に在り。主不肖にして世亂るれば、則ち賢者下に在り。今周室既に滅び、天子既に廢せらる。亂は天子無きより大なるは莫し。天子なければ、則ち彊き者は弱きに勝ち、衆き者は寡きを暴し、兵を以て相剗し、休息を得ずして、佞進む。今の世之に當る。故に有道の士を求めんと欲すれば、則ち江河の上、山谷の中、僻遠幽閒の所に於いてす。此くの若ければ則ち幸に之を得ん。太公、滋泉に釣りするは、紂の世に遭えばなり。故に文王之を得たり。文王は千乘なり。紂は天子なり。天子之を失いて、千乘之を得たるは、之を知ると知らざるとなり。諸衆齊民は、知るを待たずして使われ、禮を待たずして令せらる。若し夫れ有道の士なれば、必ず禮し必ず知り、然る後に其の智能く盡くす可きなり。
現代語訳
天下に道を体得した士がいても、その数は少ない。千里に一人の士がいれば肩を並べるほど、幾世代に一人の聖人が出れば踵を接するほど、それほど稀である。士や聖人はこれほど得がたいのに、良い政治は必ず彼らを必要とする。ならばどうして治まろうか。幸い得ても、必ずしもそれと分からない。分からなければ賢者がいないのと同じである。これが治世が短く乱世が長い理由である。だから天下を保つ王者は四代と続かず、覇者も六代と続かず、亡国は相次ぎ、囚われの君主も後を絶たない。士を得ればこの憂いはない。周が封じた四百余国、服属した八百余国も、今は一つも残らない。賢主はこのことを知るがゆえに、日々一日を慎んで生涯を全うする。それは山登りに似て、高く登ってもなお上に山が聳えるように、自分が賢く行いが高くても、周囲を見ればなお皆が自分に勝る。だから周公旦は『自分に及ばぬ者、自分と同等の者とは交わらない』と言った。賢者だけが自分に勝る者と交わる。賢者を得て共にいられるのは、礼遇するからである。主が賢く世が治まれば賢者は上位にあり、主が愚かで世が乱れれば賢者は下野する。今や周室は滅び天子は廃され、天子なき乱世で強者が弱者に勝ち、多数が少数を虐げ、兵で削り合い、佞人がのさばる。だから有道の士は江河のほとり、山谷の奥、辺鄙な地に求めるべきで、そうすれば運よく得られよう。太公望が滋泉で釣りをしていたのは紂の乱世に遭ったからで、文王はそこで彼を得た。文王は諸侯、紂は天子でありながら、天子が失い諸侯が得たのは、賢者を知るか知らぬかの違いである。一般の民は理解を待たず使え礼を待たず命じられるが、有道の士は必ず礼遇し理解してこそ、その知恵を尽くさせられるのである。