呂氏春秋 / 愼大③
武王勝殷,入殷,未下轝,命封黃帝之後於鑄,封帝堯之後於黎,封帝舜之後於陳;下轝,命封夏后之後於杞,立成湯之後於宋以奉桑林。武王乃恐懼,太息流涕,命周公旦進殷之遺老,而問殷之亡故,又問眾之所說、民之所欲。殷之遺老對曰:“欲復盤庚之政。”武王於是復盤庚之政;發巨橋之粟,賦鹿臺之錢,以示民無私;出拘救罪,分財棄責,以振窮困;封比干之墓,靖箕子之宮,表商容之閭,士過者趨,車過者下;三日之內,與謀之士封為諸侯,諸大夫賞以書社,庶士施政去賦;然後於濟河,西歸報於廟;乃稅馬於華山,稅牛於桃林,馬弗復乘,牛弗復服;釁鼓旗甲兵,藏之府庫,終身不復用。此武王之德也。故周明堂外戶不閉,示天下不藏也。唯不藏也可以守至藏。武王勝殷,得二虜而問焉,曰:“若國有妖乎?”一虜對曰:“吾國有妖。晝見星而天雨血,此吾國之妖也。”一虜對曰:“此則妖也。雖然,非其大者也。吾國之妖,甚大者,子不聽父,弟不聽兄,君令不行,此妖之大者也。”武王避席再拜之。此非貴虜也,貴其言也。故易曰:“愬愬履虎尾,終吉”。
新字:武王勝殷,入殷,未下轝,命封黄帝之後於鋳,封帝堯之後於黎,封帝舜之後於陳;下轝,命封夏后之後於杞,立成湯之後於宋以奉桑林。武王乃恐懼,太息流涕,命周公旦進殷之遺老,而問殷之亡故,又問眾之所説、民之所欲。殷之遺老対曰:“欲復盤庚之政。”武王於是復盤庚之政;発巨橋之粟,賦鹿台之銭,以示民無私;出拘救罪,分財棄責,以振窮困;封比干之墓,靖箕子之宮,表商容之閭,士過者趨,車過者下;三日之內,与謀之士封為諸侯,諸大夫賞以書社,庶士施政去賦;然後於済河,西歸報於廟;乃税馬於華山,税牛於桃林,馬弗復乗,牛弗復服;釁鼓旗甲兵,蔵之府庫,終身不復用。此武王之徳也。故周明堂外戶不閉,示天下不蔵也。唯不蔵也可以守至蔵。武王勝殷,得二虜而問焉,曰:“若国有妖乎?”一虜対曰:“吾国有妖。昼見星而天雨血,此吾国之妖也。”一虜対曰:“此則妖也。雖然,非其大者也。吾国之妖,甚大者,子不聴父,弟不聴兄,君令不行,此妖之大者也。”武王避席再拝之。此非貴虜也,貴其言也。故易曰:“愬愬履虎尾,終吉”。
書き下し
武王、殷に勝ち、殷に入るや、未だ轝を下りざるに、命じて黄帝の後を鑄に封じ、帝堯の後を黎に封じ、帝舜の後を陳に封ず。轝より下り、命じて夏后の後を杞に封じ、成湯の後を宋に立て、以て桑林を奉ぜしむ。武王乃ち恐懼し、太息流涕す。周公旦に命じて殷の遺老を進めて、殷の亡びし故を問わしめ、又衆の説ぶ所、民欲する所を問わしむ。殷の遺老對えて曰く、「盤庚の政を復せんと欲す。」武王是に於いて盤庚の政を復し、巨橋の粟を發し、鹿臺の錢を賦し、以て民に私無きを示す。拘を出だして罪を救い、財を分かち責を棄て、以て窮困を振う。比干の墓を封じ、箕子の宮を靖んじ、商容の閭を表し、士の過ぐる者は趨らしめ、車にて過ぐる者は下りしむ。三日の內、與謀の士は封じて諸侯と為し、諸大夫は賞するに書社を以てし、庶士は政を施め賦を去る。然る後に河を濟り、西に歸りて廟に報ず。乃ち馬を華山に税き、牛を桃林に税き、馬は復た乘らず、牛は復た服せしめず。鼓旗甲兵に釁し、之を府庫に藏し、終身復た用いず。此れ武王の德なり。故に周の明堂は外戶閉じず、天下に藏せざるを示すなり。唯だ藏せざるのみならんか、以て至藏を守る可しとなり。武王、殷に勝ち、二虜を得て焉に問いて曰く、「若の國に妖有るか。」一虜對えて曰く、「吾が國に妖有り。晝星を見て、而して天、血を雨らせたり。此れ吾が國の妖なり。」一虜對えて曰く、「此れ則ち妖なり。然りと雖も、其の大なる者に非ざるなり。吾が國の妖、甚だしく大なる者は、子は父に聽かず、弟は兄に聽かず、君令は行われず、此れ妖の大なる者なり。」武王、席を避けて之を再拜す。此れ虜を貴ぶに非ざるなり、其の言を貴ぶなり。故に易に曰く、「愬愬として虎の尾を履む、終に吉なり。」
現代語訳
武王は殷に勝って都に入ると、車を降りる前にまず黄帝・堯・舜の子孫をそれぞれ鑄・黎・陳に封じ、車を降りてから夏后の子孫を杞に、成湯の子孫を宋に立てて桑林の祭りを継がせた。そのうえで武王は恐れかしこみ、深く嘆息して涙を流した。周公旦に命じて殷の長老を招き、殷の滅んだわけと、民衆の望むところを尋ねさせた。長老が「盤庚の政治に戻したい」と答えると、武王はそれを実行し、巨橋の穀物と鹿臺の財貨を放出して私心のないことを示し、囚人を釈放し財を分け負債を帳消しにして困窮者を救った。比干の墓を手厚くし、箕子の家を安んじ、商容の里に表彰を立て、通る士は小走りに、車の者は降りて敬意を示させた。功臣を諸侯に封じ、大夫には領地を、庶士には賦役の免除を与えた。その後、河を渡り西へ帰って宗廟に報告し、馬を華山に、牛を桃林に放って二度と用いず、武具に血塗って蔵に納め生涯使わなかった。これが武王の徳である。周の明堂の外戸を閉ざさないのは、天下に隠し蓄えのないことを示すためである。武王は二人の捕虜に国の凶兆を尋ね、一人が昼に星が見え天が血の雨を降らせたと答えたが、もう一人は、子が父に、弟が兄に従わず君命が行われぬことこそ最大の凶兆だと答えた。武王は席を立って再拝した。捕虜を貴んだのではなく、その言葉を貴んだのである。だから『易』に「恐る恐る虎の尾を踏む、終には吉」とある。