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呂氏春秋 / 愼人④

孔子窮於陳、蔡之間,七日不嘗食,藜羹不糝。宰予備矣,孔子弦歌於室,顏回擇菜於外。子路與子貢相與而言曰:“夫子逐於魯,削跡於衛,伐樹於宋,窮於陳、蔡,殺夫子者無罪,藉夫子者不禁,夫子弦歌鼓舞,未嘗絕音,蓋君子之無所醜也若此乎?”顏回無以對,入以告孔子。孔子憱然推琴,喟然而歎曰:“由與賜,小人也。召,吾語之。”子路與子貢入。子貢曰:“如此者可謂窮矣。”孔子曰:“是何言也?君子達於道之謂達,窮於道之謂窮。今丘也拘仁義之道,以遭亂世之患,其所也,何窮之謂?故內省而不疚於道,臨難而不失其德。大寒既至,霜雪既降,吾是以知松柏之茂也。昔桓公得之莒,文公得之曹,越王得之會稽。陳、蔡之阨,於丘其幸乎!”孔子烈然返瑟而弦,子路抗然執干而舞。子貢曰:“吾不知天之高也,不知地之下也。”古之得道者,窮亦樂,達亦樂。所樂非窮達也,道得於此,則窮達一也,為寒暑風雨之序矣。故許由虞乎潁陽,而共伯得乎共首。

新字:孔子窮於陳、蔡之間,七日不嘗食,藜羹不糝。宰予備矣,孔子弦歌於室,顏回択菜於外。子路与子貢相与而言曰:“夫子逐於魯,削跡於衛,伐樹於宋,窮於陳、蔡,殺夫子者無罪,藉夫子者不禁,夫子弦歌鼓舞,未嘗絶音,蓋君子之無所醜也若此乎?”顏回無以対,入以告孔子。孔子憱然推琴,喟然而歎曰:“由与賜,小人也。召,吾語之。”子路与子貢入。子貢曰:“如此者可謂窮矣。”孔子曰:“是何言也?君子達於道之謂達,窮於道之謂窮。今丘也拘仁義之道,以遭乱世之患,其所也,何窮之謂?故內省而不疚於道,臨難而不失其徳。大寒既至,霜雪既降,吾是以知松柏之茂也。昔桓公得之莒,文公得之曹,越王得之会稽。陳、蔡之阨,於丘其幸乎!”孔子烈然返瑟而弦,子路抗然執干而舞。子貢曰:“吾不知天之高也,不知地之下也。”古之得道者,窮亦楽,達亦楽。所楽非窮達也,道得於此,則窮達一也,為寒暑風雨之序矣。故許由虞乎潁陽,而共伯得乎共首。

書き下し

孔子、陳・蔡の間に窮して、七日食を嘗めず、藜羹糝せず。宰予備れり。孔子、室に弦歌す、顏回菜を外に擇ぶに、子路と子貢と相與にして言いて曰く、「夫子、魯に逐われ、迹を衛に削られ、樹を宋に伐られ、陳・蔡に窮す。夫子を殺す者は罪無く、夫子を籍むる者は禁ぜられず。夫子、弦歌鼓舞し、未だ嘗て音を絶たず。蓋し君子の醜づる所無きこと、此くの若きか。」顏回以て對うる無く、入りて以て孔子に告ぐ。孔子憱然として琴を推し、喟然として歎じて曰く、「由と賜とは、小人なり。召せ、吾之に語らん。」子路と子貢と入る。子貢曰く、「此くの如きは窮すと謂う可し。」孔子曰く、「是れ何の言ぞや。君子道に達するを之れ達と謂い、道に窮するを之れ窮と謂う。今、丘や仁義の道を抱き、以て亂世の患いに遭う。其の所や、何ぞ窮すと之れ謂わん。故に內に省みて道に疚しからず、難に臨みて其の德を失わず。大寒既に至り、霜雪既に降る。吾是を以て松柏の茂るを知るなり。昔、桓公は之を莒に得、文公は之を曹に得、越王は之を會稽に得たり。陳・蔡の阨は、丘に於いて其れ幸いなるか。」孔子烈然として瑟を返して弦す。子路抗然として干を執りて舞う。子貢曰く、「吾、天の高きを知らざるなり、地の下きを知らざるなり。」古の道を得たる者は、窮するも亦た樂しみ、達するも亦た樂しむ。樂しむ所は窮達に非ざるなり。道此に得れば、則ち窮達一なり、寒暑風雨の序為り。故に許由は潁陽に虞しみ、而して共伯は共首に得たり。

現代語訳

孔子が陳と蔡の間で困窮し、七日間まともに食べられず、あかざの汁にも米がなかった。宰予は疲れ果てた。孔子は室内で琴を弾き歌い、顔回は外で菜を選っていた。子路と子貢が語り合った。「先生は魯を追われ、衛で足跡を削られ、宋で木を伐られ、陳・蔡で困窮している。先生を殺す者も罪に問われず、辱める者も禁じられない。それでも先生は弾き歌い舞って、音を絶やさない。君子は恥じるところがないとは、これほどのものか。」顔回は答えられず、入って孔子に告げた。孔子は顔色を変えて琴を押しやり、深く嘆いて言った。「由すなわち子路と賜すなわち子貢は小人だ。呼べ、私が話そう。」二人が入ると、子貢が「このありさまは困窮と言えましょう」と言った。孔子は言った。「なんという言葉か。君子は道に通じることを達といい、道に行き詰まることを窮という。今、私は仁義の道を抱いて乱世の患いに遭っているだけだ。これのどこが窮といえよう。だから内を省みて道に恥じず、危難に臨んでも徳を失わない。大寒が来て霜雪が降り、そこで初めて松柏が青々と茂っていると分かるのだ。昔、桓公は莒で、文公は曹で、越王は会稽で苦しんで、後に成功した。陳・蔡の危難は、私にとってむしろ幸いだろう。」孔子は毅然と瑟を取り直して弾き、子路は勇み立って盾を執って舞った。子貢は「私は天の高さも地の深さも知らなかった」と言った。昔の道を得た者は、困窮しても楽しみ、栄達しても楽しんだ。楽しむのは困窮や栄達によるのではない。道をここに得れば窮も達も一つで、寒暑風雨の巡りのようなものだ。だから許由は潁陽で楽しみ、共伯は共首山で自らの志を得たのである。

解説

陳蔡の危難で飢えながらも琴歌をやめない孔子が、弟子に、窮とは道に行き詰まることで境遇の困窮ではないと諭す名高い一段です。背景には、外的な逆境と内的な道の充実を峻別する本篇の思想があり、寒さの中でこそ松柏の緑が際立つという比喩で節操を語ります。困窮も栄達も等しく楽しむという境地が印象的です。現代でも、逆境の意味を外の状況ではなく自分の内面の充実で測るという視点は、苦境にあっても揺るがない精神の支えとなり、真の豊かさの在り処を問いかけます。

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