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呂氏春秋 / 長攻①

凡治亂存亡,安危強弱,必有其遇,然後可成,各一則不設。故桀、紂雖不肖,其亡遇湯、武也,遇湯、武,天也,非桀、紂之不肖也;湯、武雖賢,其王遇桀、紂也,遇桀、紂,天也,非湯、武之賢也。若桀、紂不遇湯、武,未必亡也;桀、紂不亡,雖不肖,辱未至於此。若使湯、武不遇桀、紂,未必王也;湯、武不王,雖賢,顯未至於此。故人主有大功,不聞不肖,亡國之主不聞賢。譬之若良農,辯土地之宜,謹耕耨之事,未必收也;然而收者,必此人也始在於遇時雨,遇時雨,天地也,非良農所能為也。

新字:凡治乱存亡,安危強弱,必有其遇,然後可成,各一則不設。故桀、紂雖不肖,其亡遇湯、武也,遇湯、武,天也,非桀、紂之不肖也;湯、武雖賢,其王遇桀、紂也,遇桀、紂,天也,非湯、武之賢也。若桀、紂不遇湯、武,未必亡也;桀、紂不亡,雖不肖,辱未至於此。若使湯、武不遇桀、紂,未必王也;湯、武不王,雖賢,顕未至於此。故人主有大功,不聞不肖,亡国之主不聞賢。譬之若良農,辯土地之宜,謹耕耨之事,未必収也;然而収者,必此人也始在於遇時雨,遇時雨,天地也,非良農所能為也。

書き下し

凡そ治亂存亡・安危彊弱は、必ず其の遇りて、然る後に成る可し。各々一なれば則ち設けず。故に桀・紂不肖と雖も、其の亡びたるは湯・武に遇えばなり。湯・武に遇いしは天なり。桀・紂の不肖に非ざるなり。湯・武賢なりと雖も、其の王たるは桀・紂に遇えばなり。桀・紂に遇いしは天なり。湯・武も賢に非ざるなり。若し桀・紂、湯・武に遇わざれば、未だ必ずしも亡びざるなり。桀・紂亡びざれば、不肖なりと雖も、辱め未だ此に至らず。若し湯・武をして桀・紂に遇わざらしめば、未だ必ずしも王たらざるなり。湯・武、王たらざれば、賢なりと雖も、顯るること未だ此に至らず。故に人主大功有れば、不肖なるを聞かず、亡國の主、賢なるを聞かず。之を譬うれば、良農の、土地の宜しきを辯じ、耕耨の事を謹むとも、未だ必ずしも收めざるが若し。然り而して收むる者、必ず此の人や、始め時雨に遇うに在り。時雨に遇うは、天地なり。良農の能く為す所に非ざるなり。

現代語訳

およそ治乱・存亡・安危・強弱は、必ず相手にめぐり合ってはじめて成るもので、片方だけでは成り立たない。だから桀・紂が愚かでも、滅んだのは湯・武にめぐり合ったからだ。湯・武に遇ったのは天であって、桀・紂が愚かだからではない。湯・武が賢くても、王となれたのは桀・紂にめぐり合ったからだ。桀・紂に遇ったのは天であって、湯・武が賢いからでもない。もし桀・紂が湯・武に遇わなければ必ずしも滅ばず、滅ばなければ愚かでもこれほどの恥辱には至らない。もし湯・武が桀・紂に遇わなければ必ずしも王とならず、王とならなければ賢くてもこれほど名は顕れない。だから大功ある君主は愚かとは言われず、亡国の君主は賢いとは言われない。たとえば良農が土地の適否を見分け耕作を怠らなくても必ず収穫できるとは限らない。それでも収穫できる者は、はじめに恵みの雨に遇っているのだ。時雨に遇うのは天地の働きで、良農にできることではない。

解説

治乱や成敗は当人の資質だけでなく、めぐり合わせすなわち遇によって決まると説き、桀紂と湯武の関係を例に示します。背景には、時運や相手という自分では制御できない条件を重視する本篇の思想があり、良農も恵みの雨がなければ収穫できないという比喩で補います。賢愚の評価すら結果次第で決まるという冷静な洞察が印象的です。現代でも、努力や能力に加えて環境や巡り合わせが成否を左右するという視点は、成功も失敗も一面的に個人へ帰さない、謙虚でバランスある見方を促します。

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