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呂氏春秋 / 本味④

湯得伊尹,祓之於廟,爝以爟火,釁以犧猳。明日,設朝而見之,說湯以至味,湯曰:“可對而為乎?”對曰:“君之國小,不足以具之,為天子然後可具。夫三群之蟲,水居者腥,肉玃者臊,草食者羶,臭惡猶美,皆有所以。凡味之本,水最為始。五味三材,九沸九變,火為之紀。時疾時徐,滅腥去臊除羶,必以其勝,無失其理。調和之事,必以甘酸苦辛鹹,先後多少,其齊甚微,皆有自起。鼎中之變,精妙微纖,口弗能言,志不能喻。若射御之微,陰陽之化,四時之數。故久而不弊,熟而不爛,甘而不噥,酸而不酷,鹹而不減,辛而不烈,澹而不薄,肥而不(月侯)。肉之美者:猩猩之脣,獾獾之炙,雋觾之翠,述蕩之踏,旄象之約。流沙之西,丹山之南,有鳳之丸,沃民所食。魚之美者:洞庭之鱄,東海之鮞。醴水之魚,名曰朱鱉,六足,有珠百碧。雚水之魚,名曰鰩,其狀若鯉而有翼,常從西海夜飛,游於東海。菜之美者:崑崙之蘋,壽木之華。指姑之東,中容之國,有赤木玄木之葉焉。餘瞀之南,南極之崖,有菜,其名曰嘉樹,其色若碧。陽華之芸。雲夢之芹。具區之菁。浸淵之草,名曰土英。和之美者:陽樸之薑,招搖之桂,越駱之菌,鱣鮪之醢,大夏之鹽,宰揭之露,其色如玉,長澤之卵。飯之美者:玄山之禾,不周之粟,陽山之穄,南海之秬。水之美者:三危之露;崑崙之井;沮江之丘,名曰搖水;曰山之水;高泉之山,其上有涌泉焉,冀州之原。果之美者:沙棠之實;常山之北,投淵之上,有百果焉,群帝所食;箕山之東,青島之所,有甘櫨焉;江浦之橘;雲夢之柚。漢上石耳。所以致之馬之美者,青龍之匹,遺風之乘。非先為天子,不可得而具。天子不可彊為,必先知道。道者止彼在己,己成而天子成,天子成則至味具。故審近所以知遠也,成己所以成人也。聖人之道要矣,豈越越多業哉!”

新字:湯得伊尹,祓之於廟,爝以爟火,釁以犠猳。明日,設朝而見之,説湯以至味,湯曰:“可対而為乎?”対曰:“君之国小,不足以具之,為天子然後可具。夫三群之虫,水居者腥,肉玃者臊,草食者羶,臭悪猶美,皆有所以。凡味之本,水最為始。五味三材,九沸九変,火為之紀。時疾時徐,滅腥去臊除羶,必以其勝,無失其理。調和之事,必以甘酸苦辛鹹,先後多少,其斉甚微,皆有自起。鼎中之変,精妙微繊,口弗能言,志不能喻。若射御之微,陰陽之化,四時之数。故久而不弊,熟而不爛,甘而不噥,酸而不酷,鹹而不減,辛而不烈,澹而不薄,肥而不(月侯)。肉之美者:猩猩之脣,獾獾之炙,雋觾之翠,述蕩之踏,旄象之約。流沙之西,丹山之南,有鳳之丸,沃民所食。魚之美者:洞庭之鱄,東海之鮞。醴水之魚,名曰朱鱉,六足,有珠百碧。雚水之魚,名曰鰩,其状若鯉而有翼,常従西海夜飛,游於東海。菜之美者:崑崙之蘋,寿木之華。指姑之東,中容之国,有赤木玄木之葉焉。余瞀之南,南極之崖,有菜,其名曰嘉樹,其色若碧。陽華之芸。雲夢之芹。具区之菁。浸淵之草,名曰土英。和之美者:陽樸之薑,招揺之桂,越駱之菌,鱣鮪之醢,大夏之塩,宰掲之露,其色如玉,長沢之卵。飯之美者:玄山之禾,不周之粟,陽山之穄,南海之秬。水之美者:三危之露;崑崙之井;沮江之丘,名曰揺水;曰山之水;高泉之山,其上有涌泉焉,冀州之原。果之美者:沙棠之実;常山之北,投淵之上,有百果焉,群帝所食;箕山之東,青島之所,有甘櫨焉;江浦之橘;雲夢之柚。漢上石耳。所以致之馬之美者,青竜之匹,遺風之乗。非先為天子,不可得而具。天子不可彊為,必先知道。道者止彼在己,己成而天子成,天子成則至味具。故審近所以知遠也,成己所以成人也。聖人之道要矣,豈越越多業哉!”

書き下し

湯、伊尹を得、之を廟に祓い、爝するに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、明日、朝を設けて之を見る。湯を説くに至味を以てす。湯曰く、「得て為す可きか。」對えて曰く、「君の國は小なり。以て之に具うるに足らず、天子と為りて然る後具う可し。夫れ三群の蟲、水居する者は腥、肉玃する者は臊、草食する者は羶、臭惡なるも猶ほ美にして、皆以うる所有り。凡そ味の本は、水最も始めを為す。三材を五味し、九沸九變せしむるに、火之が紀為り。時に疾く時に徐に、腥を滅し臊を去り羶を除くに、必ず其の勝を以てすれば、其の理を失うこと無し。調和の事は、必ず甘酸苦辛鹹を以てし、先後多少、其の齊甚だ微にして、皆自りて起こる有り。鼎中の變は、精妙微纖にして、口言う能わず。志喻る能わず。射御の微、陰陽の化、四時の數の若し。故に久しくすれども弊せず、熟すれど爛せず、甘にして噥ならず、酸にして酷ならず、鹹にして減ならず、辛にして烈ならず、澹にして薄ならず、肥にして楚ならず。肉の美なる者は、猩猩の脣、獾獾の炙、雋觾の翠、述蕩のワン、旄象の約なり。流沙の西、丹山の南に、鳳の丸有り、沃民の食う所なり。魚の美なる者は、洞庭の鱄、東海の鮞。醴水の魚、名づけて朱鼈と曰い、六足にして、珠有り、百碧。雚水の魚、名づけて鰩と曰う、其の狀は鯉の若くにして翼有り、常に西海從り夜飛んで、東海に游ぶ。菜の美なる者、崑崙の蘋、壽木の華。指姑の東、中容の國に、赤木玄木の葉有り。餘瞀の南、南極の崖に、菜有り、其の名を嘉樹と曰う、其の色碧の若し。陽華の芸、雲夢の芹、具區の菁、浸淵の草、名づけて土英と曰う。和の美なる者は、陽樸の薑、招搖の桂、越駱の菌、鱣鮪の醢、大夏の鹽、宰揭の露、其の色玉の如し、長澤の卵。飯の美なる者は、玄山の禾、不周の粟、陽山の穄、南海の秬。水の美なる者は、三危の露、崑崙の井。沮江の丘、名づけて搖水と曰う。曰山の水、高泉の山、其の上に涌泉有り。冀州の原。果の美なる者は、沙棠の實。常山の北、投淵の上、百果有り、群帝の食する所なり。箕山の東、青島の所、甘櫨有り。江浦の橘、雲夢の柚、漢上の石耳、之を致す所以なり。馬の美なる者は、青龍の匹、遺風の乘。先づ天子と為るに非ざれば、得て具う可からず。天子は彊いて為る可からず。必ず道を知るを先とす。道なる者は、彼に亡く、己に在り。己成れば而ち天子成り、天子成れば則ち至味具わる。故に近きを審らかにするは、遠きを知る所以なり。己を成すは、人を成す所以なり。聖王の道は要なり。」

現代語訳

湯は伊尹を得ると、廟で祓い清め、聖火で照らし、犠牲の血を塗って迎え、翌日朝廷を開いて会見した。伊尹は最高の味の話で湯を説いた。湯が「それは作れるのか」と問うと、伊尹は答えた。「君の国は小さく、材料を揃えるには足りません。天子となってはじめて揃えられます。水にすむもの・肉食のもの・草食のものはそれぞれ生臭さがありますが、悪い匂いでもうまく調理でき、みな理由があります。味の根本はまず水です。三種の材料に五味を加え、火加減で何度も煮立てて変化させ、火がその要です。速く遅く火を操り、生臭みを消すには必ずその性質に応じてすれば、道理を失いません。調味は甘・酸・苦・辛・鹹を用い、その順序と分量はごく微妙で、すべて理由があります。鼎の中の変化は精妙で、口で言い表せず心でも悟りきれません。弓術や御術の微妙さ、陰陽の変化、四季の運行のようです。だから長く置いても傷まず、煮ても煮崩れず、甘くてもくどくなく、酸っぱくても強すぎず、塩辛くても辛すぎず、辛くても刺激的すぎず、淡くても薄すぎず、脂っこくてもしつこくない。」続けて伊尹は、猩猩の唇、獾獾の炙り肉、鳳の卵など各地の肉の美味、洞庭の魚や翼のある鰩など魚の美味、崑崙の水草や壽木の実など野菜の美味、陽樸の生姜や招揺の肉桂や大夏の塩など調味料の美味、玄山の穀物など飯の美味、三危の露や崑崙の井など水の美味、沙棠の実や江浦の橘など果実の美味、そして青龍・遺風など名馬を列挙する。「これらは天子とならなければ揃えられません。天子は無理になろうとしてはならず、まず道を知ることが先です。道は他人ではなく自分にあり、自分が完成すれば天子となり、天子となれば最高の味が揃います。ゆえに近くを明らかにするのは遠くを知る手立て、自分を成すのは人を成す手立てです。聖王の道は要約にあります。」

解説

料理人あがりの伊尹が、天下の珍味を語りながら実は帝王の道を説くという有名な一段です。背景には、味の調和を火加減と五味の微妙な均衡に見る古代の料理観があり、それを政治の統御術になぞらえます。各地の名物の列挙は当時の地理・博物知識の宝庫でもあります。核心は道は自分にあり己を成せば天下が成るという自己修養論で、身近な調理の妙から遠大な統治原理へ説き及ぶ手法が見事です。現代でも、細部への精緻な感覚と全体の調和を重んじる姿勢は、料理にも経営にも通じる普遍的な教えです。

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