呂氏春秋 / 孝行③
曾子曰:“身者,父母之遺體也。行父母之遺體,敢不敬乎?居處不莊,非孝也。事君不忠,非孝也。蒞官不敬,非孝也。朋友不篤,非孝也。戰陳無勇,非孝也。五行不遂,災及乎親,敢不敬乎?”
新字:曽子曰:“身者,父母之遺体也。行父母之遺体,敢不敬乎?居処不荘,非孝也。事君不忠,非孝也。蒞官不敬,非孝也。朋友不篤,非孝也。戦陳無勇,非孝也。五行不遂,災及乎親,敢不敬乎?”
書き下し
曾子曰く、「身は、父母の遺體なり。父母の遺體を行う、敢て敬せざらんや。居處莊ならざるは、孝に非ざるなり。君に事えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。官に蒞みて敬ならざるは、孝に非ざるなり。朋友に篤からざるは、孝に非ざるなり。戰陳に勇無きは、孝に非ざるなり。五行遂げざれば、災い親に及ぶ。敢て敬せざらんや。」
現代語訳
曾子が言った。「わが身は父母から受け継いだ体である。父母から授かった体で行動するのに、どうして慎まずにいられよう。日常の起居がつつしみを欠くのは孝ではない。君に仕えて忠でないのは孝ではない。官職に臨んで敬でないのは孝ではない。友人に誠実でないのは孝ではない。戦陣で勇気がないのは孝ではない。この五つの行いが成し遂げられなければ、災いが親に及ぶ。どうして慎まずにいられよう。」
解説
曾子の言葉として、自分の体は父母から授かったものだという自覚から出発し、日常・忠・敬・信・勇の五つの徳がすべて孝につながると説きます。背景には、身を慎み立派に生きること自体が親への孝行だとする曾子の思想があり、孝を家の中だけでなく社会的な振る舞い全体へ拡張しています。徳目を欠けば災いが親にまで及ぶという論理が印象的です。現代でも、自分の行動が育ててくれた人の評価につながるという意識は、公私の場面での誠実さを支える普遍的な動機づけとなります。