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呂氏春秋 / 聽言②

功先名,事先功,言先事。不知事惡能聽言?不知情惡能當言?其與人穀言也,其有辯乎?其無辯乎?造父始習於大豆,逢蒙始習於甘蠅,御大豆,射甘蠅,而不徙人以為性者也。不徙之,所以致遠追急也,所以除害禁暴也。凡人亦必有所習其心,然後能聽說。不習其心,習之於學問。不學而能聽說者,古今無有也。解在乎白圭之非惠子也,公孫龍之說燕昭王以偃兵及應空洛之遇也,孔穿之議公孫龍,翟翦之難惠子之法。此四士者之議,皆多故矣,不可不獨論。

新字:功先名,事先功,言先事。不知事悪能聴言?不知情悪能当言?其与人穀言也,其有辯乎?其無辯乎?造父始習於大豆,逢蒙始習於甘蠅,御大豆,射甘蠅,而不徙人以為性者也。不徙之,所以致遠追急也,所以除害禁暴也。凡人亦必有所習其心,然後能聴説。不習其心,習之於學問。不學而能聴説者,古今無有也。解在乎白圭之非恵子也,公孫竜之説燕昭王以偃兵及応空洛之遇也,孔穿之議公孫竜,翟翦之難恵子之法。此四士者之議,皆多故矣,不可不独論。

書き下し

功は名に先だち、事は功に先だち、言は事に先だつ。事を知らずんば、惡んぞ能く言を聽かん。情を知らずんば、惡んぞ能く言に當らん。其れ人の穀言と、其れ辯あるか。其れ辯無きか。造父は始め大豆に習い、逢蒙は始め甘蠅に習う。大豆に御し、甘蠅に射して之を徙さず。以て性と為す者なり。之を徙さざるは、遠きを致し急を追う所以なり。害を除き暴を禁ずる所以なり。凡そ人も亦た必ず其の心に習う所有りて、然る後に能く説を聽く。其の心に習わざれば、之を學問に習う。學ばずして能く説を聽く者は、古今有る無きなり。解は白圭の惠子を非ると、公孫龍の燕の昭王に説くに偃兵を以てすると、及び空洛の遇に應ずると、孔穿の公孫龍を議すると、翟翦の惠子の法を難ずるとに在り。此の四士者の議は、皆故多し。獨論せざる可からず。

現代語訳

功績は名声に先立ち、事業は功績に先立ち、言葉は事業に先立つ。事の実際を知らずに、どうして言葉を聞き分けられよう。実情を知らずに、どうして言葉を正しく評価できよう。人の言葉が、雛鳥のさえずりのような赤子の言葉と、区別があるのかないのか。造父ははじめ大豆に御術を、逢蒙ははじめ甘蠅に弓を学んだ。大豆に御し甘蠅に射ても、その心を移さず、それを本性のものとした。心を移さないことこそ、遠くまで達し急なものを追い、害を除き暴を禁じるゆえんである。人もまた必ずその心に習熟したものがあってはじめて、説を聞き分けられる。心に習熟がなければ、学問によってそれを習う。学ばずに説を聞き分けられる者は、古今に一人もいない。詳しい解説は、白圭が恵子を非難した話、公孫龍が燕の昭王に戦をやめるよう説き空洛の会盟に応じた話、孔穿が公孫龍を議論した話、翟翦が恵子の法を難じた話にある。これら四人の議論はいずれもわけありで、独自によく論じなければならない。

解説

この段は、言葉を正しく聞くには実情の理解と学びが要ると説きます。功は名に、事は功に、言は事に先立つのだから、事の実際や実情を知らねば言葉を評価できない。それができなければ人の言葉も赤子のさえずりと変わらない、と喝破します。造父や逢蒙が名人に学んで心を移さず本性としたように、人も心に習熟したものがあってこそ説を聞き分けられ、なければ学問で身につけよ、と学びの必要を強調します。呂氏春秋は傾聴の力を後天的な修養に求めました。判断力は生まれつきでなく学びと熟達で培われるという主張は、批判的に聞き分ける力を教育で養う、現代のリテラシー観にも通じます。

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