呂氏春秋 / 去尤⑤
解在乎齊人之欲得金也,及秦墨者之相妒也,皆有所乎尤也。老聃則得之矣。若植木而立乎獨,必不合於俗,則何可擴矣。
新字:解在乎斉人之欲得金也,及秦墨者之相妒也,皆有所乎尤也。老聃則得之矣。若植木而立乎独,必不合於俗,則何可擴矣。
書き下し
解は齊人の金を得んと欲すると、秦の墨者の相妒むとに在り。皆尤せらるる所有るなり。老聃は則ち之を得たり。若し木を植えて獨に立ち、必ず俗に合せざれば、則ち何ぞ擴ぐ可けんや。
現代語訳
詳しい解説は、斉の人が金を手に入れようとした話と、秦の墨者たちが互いに妬み合った話にあり、どちらもとらわれに陥った例である。老聃はそれを免れて悟りを得ていた。もし木を植えるように独り超然と立ち、必ずしも世俗に合わせないのであれば、どうして広く受け入れられようか。
解説
この段は去尤篇の締めくくりで、篇の趣旨を例話へと結びます。金に目がくらんで人目も忘れた斉の人や、互いに妬み合った秦の墨者を、いずれも尤すなわちとらわれの例として挙げ、欲や嫉妬が正しい認識を奪うことを示します。一方で老聃つまり老子はそのとらわれを免れて真理を得ていたと称えます。末尾の一文は他篇の混入とする説もあります。呂氏春秋は、欲望や感情のとらわれから自由になることを理想としました。私欲や妬みが目を曇らせるという指摘は、利害から距離を置いて物事を公正に見よという、現代にも通じる自己省察の勧めです。