呂氏春秋 / 不侵②
湯、武,千乘也,而士皆歸之。桀、紂,天子也,而士皆去之。孔、墨,布衣之士也;萬乘之主,千乘之君,不能與之爭士也。自此觀之,尊貴富大不足以來士矣,必自知之然後可。
新字:湯、武,千乗也,而士皆歸之。桀、紂,天子也,而士皆去之。孔、墨,布衣之士也;万乗之主,千乗之君,不能与之争士也。自此観之,尊貴富大不足以来士矣,必自知之然後可。
書き下し
湯・武は、千乘なり、而れども士皆之に歸す。桀・紂は、天子なり、而れども士皆之を去る。孔・墨は、布衣の士なり。萬乘の主、千乘の君、之と士を爭うこと能わざるなり。此に自りて之を觀れば、尊貴富大も、以て士を來たすに足らず。必ず自ら之を知り、然る後に可なり。
現代語訳
湯王や武王は初めは千乗ほどの小勢力にすぎなかったが、士はみな彼らのもとに集まった。桀王や紂王は天子であったが、士はみな彼らのもとを去った。孔子や墨子は無位の庶民の士であったが、万乗の大君主も千乗の君主も、彼らと士の人望を争うことはできなかった。ここから見れば、尊貴や富や強大さだけでは士を招き寄せるには足りない。必ず君主自身が士の価値を見抜いて、はじめて士を得られるのである。
解説
本段は、士を集めるのは地位や富ではなく君主の見識だという主張を、歴史上の対比で示します。湯王・武王は小勢力から身を起こしても士が集まり、暴君の桀・紂は天子でも士に見放されました。孔子・墨子は庶民ながら、大君主でもその人望には及びませんでした。背景には、権勢さえあれば人が従うという通念への反論があります。人を惹きつけるのは徳と、人の値打ちを見抜く目だと説くのです。現代の組織でも、地位や待遇だけでは優れた人は集まらず、理念やリーダーの見識が人を引きつけるという教訓として読むことができます。