呂氏春秋 / 順民④
越王苦會稽之恥,欲深得民心,以致必死於吳。身不安枕席,口不甘厚味,目不視靡曼,耳不聽鐘鼓。三年苦身勞力,焦脣乾肺。內親群臣,下養百姓,以來其心。有甘肥不足分,弗敢食;有酒流之江,與民同之。身親耕而食,妻親織而衣。味禁珍,衣禁襲,色禁二。時出行路,從車載食,以視孤寡老弱之漬病困窮顏色愁悴不贍者,必身自食之。於是屬諸大夫而告之,曰:“願一與吳徼天下之衷。今吳、越之國,相與俱殘,士大夫履肝肺,同日而死,孤與吳王接頸交臂而僨,此孤之大願也。若此而不可得也,內量吾國不足以傷吳,外事之諸侯不能害之,則孤將棄國家,釋群臣,服劍臂刃,變容貌,易名姓,執箕帚而臣事之,以與吳王爭一旦之死。孤雖知要領不屬,首足異處,四枝布裂,為天下戮,孤之志必將出焉。”於是異日果與吳戰於五湖,吳師大敗,遂大圍王宮,城門不守,禽夫差,戮吳相,殘吳二年而霸,此先順民心也。
新字:越王苦会稽之恥,欲深得民心,以致必死於吳。身不安枕席,口不甘厚味,目不視靡曼,耳不聴鐘鼓。三年苦身労力,焦脣乾肺。內親群臣,下養百姓,以来其心。有甘肥不足分,弗敢食;有酒流之江,与民同之。身親耕而食,妻親織而衣。味禁珍,衣禁襲,色禁二。時出行路,従車載食,以視孤寡老弱之漬病困窮顏色愁悴不贍者,必身自食之。於是属諸大夫而告之,曰:“願一与吳徼天下之衷。今吳、越之国,相与俱残,士大夫履肝肺,同日而死,孤与吳王接頸交臂而僨,此孤之大願也。若此而不可得也,內量吾国不足以傷吳,外事之諸侯不能害之,則孤将棄国家,釈群臣,服剣臂刃,変容貌,易名姓,執箕帚而臣事之,以与吳王争一旦之死。孤雖知要領不属,首足異処,四枝布裂,為天下戮,孤之志必将出焉。”於是異日果与吳戦於五湖,吳師大敗,遂大囲王宮,城門不守,禽夫差,戮吳相,残吳二年而覇,此先順民心也。
書き下し
越王、會稽の恥に苦しみ、深く民の心を得て、以て必死を吳に致さんと欲す。身は枕席に安んぜず、口は厚味を甘しとせず、目は靡曼を視ず、耳は鐘鼓を聽かず。三年身を苦しめ力を勞し、脣を焦がし肺を乾かす。內は群臣に親しみ、下は百姓を養いて、以て其の心を來たし、甘脃有れども分くるに足らざれば、敢て食わず。酒有れば之を江に流し、民と之を同じくす。身は親ら耕して食らい、妻は親ら織りて衣る。味は珍を禁じ、衣は襲を禁じ、色は二あるを禁ず。時に出でて路を行けば、車を從え食を載せ、以て孤寡老弱の漬病を視、困窮して顏色愁悴して贍らざる者は、必ず身自ら之に食わす。是に於て諸大夫を屬めて之に告げて曰く、「願わくは一に呉と天の衷を徼め、呉越の國をして相與俱に殘なわしめん。士大夫、肝肺を履んで、日を同じくして死し、孤、呉王と頸を接し臂を交えて僨るるは、此れ孤の大いなる願いなり。此くの若くして得可からざるや、內に吾が國を量るに以て呉を傷うに足らず、外は事うるの諸侯、之を害すること能わず。則ち孤、將に國家を棄て、群臣を釋て、劍を服び刃を臂にし、容貌を變じ、名姓を易え、箕帚を執りて之に臣事して、以て呉王と一旦の死を爭わんとす。孤、要領屬ならず、首足處を異にし、四枝布裂し、天下の戮と為るを知ると雖も、孤の志必ず將に出でんとす。」是に於て異日果して呉と五湖に戰い、呉の師大いに敗れ、遂に大いに王宮を圍む。城門守らず、夫差を禽にし、呉相を戮し、呉を殘い、二年にして霸たり。此れ先づ民心に順えばなり。
現代語訳
越王(勾践)は会稽での敗北の恥に苦しみ、深く民の心を得て、呉に対して必死の覚悟を尽くさせようとした。身は枕や寝床に安んじず、口は美味を味わわず、目は美色を見ず、耳は鐘や太鼓の音楽を聴かなかった。三年の間、身を苦しめ力を尽くし、唇を焦がし肺を乾かした。内には臣下と親しみ、下には民を養って、その心を引き寄せた。美味な肉があっても皆に分けるに足りなければ、あえて食べなかった。酒があれば川に流し、民とともにその流れを味わった。自ら耕して食べ、妻は自ら織って着た。味は珍味を禁じ、衣は重ね着を禁じ、色は二色を用いることを禁じた。時には外出して路を行き、車に食料を積み、みなし子や寡婦、老人や病人で、困窮し顔色が憂え窶れ、満ち足りない者を見れば、必ず自ら食べさせた。そこで大夫たちを集めて告げて言った。「どうか一挙に呉と天の与える正しい裁きを求めたい。今、呉と越の国を、ともに滅ぼし合わせよう。士大夫が互いの肝や肺を踏みつけ、同じ日に死に、私が呉王と首をつき合わせ腕を交えて倒れる、これこそ私の大きな願いである。もしこのようにして果たせないなら、内には我が国を量って呉を傷つけるに足らず、外には諸侯に仕えても呉を害することができないなら、私は国家を捨て、臣下を手放し、剣を帯び刃を手に隠し持ち、容貌を変え、姓名を変え、塵取りとほうきを執って呉王に臣として仕え、呉王と一日の死を争おう。私は腰と首が離れ、頭と足が別々の場所となり、手足が引き裂かれ、天下の見せしめにされようとも、私の志は必ず遂げてみせる」と。そこで後日、はたして呉と五湖で戦い、呉軍は大敗し、ついに王宮を大きく囲んだ。城門は守られず、夫差を捕らえ、呉の宰相を斬り、呉を二年で滅ぼして覇者となった。これがまず民の心に順った結果である。