師導古典を学びたいすべての人に

呂氏春秋 / 禁塞②

凡救守者,太上以說,其次以兵。以說則承從多群,日夜思之,事心任精,起則誦之,臥則夢之,自(今)〔令〕單唇乾肺,費神傷魂,上稱三皇五帝之業以愉其意,下稱五伯名士之謀以信其事,早朝晏罷,以告制兵者,行說語眾,以明其道。道畢說單而不行,則必反之兵矣。反之於兵,則必鬭爭,〔鬭爭〕之情,必且殺人,是殺無罪之民以興無道與不義者也。無道與不義者存,是長天下之害,而止天下之利,雖欲幸而勝,禍(且)〔乃〕始長。先王之法曰:「為善者賞,為不善者罰」,古之道也,不可易。今不別其義與不義,而疾取救守,不義莫大焉,害天下之民者莫甚焉。故(取)攻伐(者)不可非,攻伐不可取,救守不可非,救守不可取,惟義兵為可。兵苟義,攻伐亦可,救守亦可。兵不義,攻伐不可,救守不可。使夏桀、殷紂無道至於此者,幸也;使吳夫差、智伯瑤侵奪至於此者,幸也;使晉厲、陳靈、宋康不善至於此者,幸也。若令桀、紂知必國亡身死,殄無後類,吾未知其(厲)為無道之至於此也;吳王夫差、智伯瑤知必國為丘墟,身為刑戮,吾未知其為(不善無道)侵奪之至於此也;晉厲知必死於匠麗氏,陳靈知必死於夏徵舒,宋康知必死於溫,吾未知其為不善之至於此也。此七君者,大而無道不義:所殘殺無罪之民者,不可為萬數;壯佼老幼胎𦢌之死者,大實平原;廣堙深谿大谷,赴巨水,積灰,填溝洫險阻,犯流矢,蹈白刃,加之以凍餓饑寒之患。以至於今之世,為之愈甚,故暴骸骨無量數,為京丘若山陵。世有興主仁士,深意念此,亦可以痛心矣,亦可以悲哀矣。察此其所自生,生於有道者之廢,而無道者之恣行。夫無道者之恣行,幸矣。故世之患,不在救守,而在於不肖者之幸也。救守之說出,則不肖者益幸(也)〔矣〕,賢者益疑矣。故大亂天下者,在於不論其義而疾取救守。

新字:凡救守者,太上以説,其次以兵。以説則承従多群,日夜思之,事心任精,起則誦之,臥則夢之,自(今)〔令〕単唇乾肺,費神傷魂,上稱三皇五帝之業以愉其意,下稱五伯名士之謀以信其事,早朝晏罷,以告制兵者,行説語眾,以明其道。道畢説単而不行,則必反之兵矣。反之於兵,則必闘争,〔闘争〕之情,必且殺人,是殺無罪之民以興無道与不義者也。無道与不義者存,是長天下之害,而止天下之利,雖欲幸而勝,禍(且)〔乃〕始長。先王之法曰:「為善者賞,為不善者罰」,古之道也,不可易。今不別其義与不義,而疾取救守,不義莫大焉,害天下之民者莫甚焉。故(取)攻伐(者)不可非,攻伐不可取,救守不可非,救守不可取,惟義兵為可。兵苟義,攻伐亦可,救守亦可。兵不義,攻伐不可,救守不可。使夏桀、殷紂無道至於此者,幸也;使吳夫差、智伯瑤侵奪至於此者,幸也;使晉厲、陳靈、宋康不善至於此者,幸也。若令桀、紂知必国亡身死,殄無後類,吾未知其(厲)為無道之至於此也;吳王夫差、智伯瑤知必国為丘墟,身為刑戮,吾未知其為(不善無道)侵奪之至於此也;晉厲知必死於匠麗氏,陳靈知必死於夏徴舒,宋康知必死於温,吾未知其為不善之至於此也。此七君者,大而無道不義:所残殺無罪之民者,不可為万数;壮佼老幼胎𦢌之死者,大実平原;広堙深谿大谷,赴巨水,積灰,填溝洫険阻,犯流矢,蹈白刃,加之以凍餓饑寒之患。以至於今之世,為之愈甚,故暴骸骨無量数,為京丘若山陵。世有興主仁士,深意念此,亦可以痛心矣,亦可以悲哀矣。察此其所自生,生於有道者之廃,而無道者之恣行。夫無道者之恣行,幸矣。故世之患,不在救守,而在於不肖者之幸也。救守之説出,則不肖者益幸(也)〔矣〕,賢者益疑矣。故大乱天下者,在於不論其義而疾取救守。

書き下し

凡そ救守の者は、太上は説を以てし、其の次は兵を以てす。説を以てすれば、則ち聚徒多く群す。日夜之を思い、心を事とし精に任じ、起くれば則ち之を誦し、臥すれば則ち之を夢む。自今、脣を單くし肺を乾かし、神を費やし魂を傷う。上は三皇五帝の業を稱して、以て其の意を愉ばせ、下は五伯名士の謀を稱して、以て其の事を信にし、早に朝し晏く罷き、以て兵を制する者に告げ、説を行い衆に語り、以て其の道を明らかにす。道畢く説き單くして行われずんば、則ち必ず之を兵に反す。之を兵に反せば、則ち必ず鬭爭の情、必ず且に人を殺さんとす。是れ無罪の民を殺して、以て無道と不義とを興こす者なり。無道と不義との者存するは、是れ天下の害を長じて、天下の利を止むるなり。幸いにして勝たんと欲すと雖も、禍い且に始めて長ぜんとす。先王の法に曰く、「善を為す者は賞し、不善を為す者は罰す。」古の道や、易う可からず。今、其の義と不義とを別たずして、疾に救守を取るは、不義、焉より大なるは莫し。天下の民を害する者、焉より甚だしきは莫し。故に攻伐を取るは不可なり、攻伐を非とするも不可なり、救守を取るも不可なり、救守を非とするも不可なり、取るは惟だ義兵のみ可と為す。兵苟しくも義ならば、攻伐も亦た可なり、救守も亦た可なり。兵不義ならば、攻伐も不可なり、救守も不可なり。夏桀・殷紂をして無道なること此に至らしめしは、幸なり。吳の夫差・智伯瑤をして侵奪すること此に至らしめしは、幸なり。晉厲・陳靈・宋康をして不善なること此に至らしめしは、幸なり。若し桀・紂をして必ず國亡び身死し、殄えて後類無きを知らしめば、吾未だ其の無道を為すの此に至るを知らざるなり。吳王夫差・智伯瑤、必ず國は丘墟と為り、身は刑戮と為るを知らしめば、吾未だ其の不義・無道にして侵奪を為すの此に至るを知らざるなり。晉厲必ず匠麗氏に死するを知り、陳靈必ず夏徵舒に死するを知り、宋康必ず溫に死するを知らしめば、吾未だ其の不善を為すの此に至るを知らざるなり。此の七君は、大いに無道不義を為し、無罪の民を殘殺する所の者は、萬數を為す可からず。壯佼・老幼・胎橑の死する者、大いに平原に實ち、廣く深谿・大谷・巨水を堙ぎ、灰を積みて、溝洫を填め、險阻に赴き、流矢を犯し、白刃を蹈み、之に加うるに凍餓饑寒の患いを以てし、以て今の世に至り、之を為すこと愈々甚だし。故に骸骨を暴すこと量數無く、京丘を為すこと山陵の若し。世に興主仁士有り、深く此を意念せば、亦た以て痛心す可く、亦た以て悲哀す可し。此を察するに其の自りて生ずる所は、有道者の廢れて、無道者の恣に行うに生ず。夫れ無道者の恣に行うは、幸なり。故に世の患いは、救守に在らずして、不肖者の幸いに在るなり。救守の説出づれば、則ち不肖者は益々幸いなり、賢者は益々疑う。故に大いに天下を亂す者は、其の義を論ぜずして、疾やかに救守を取るに在り。

現代語訳

およそ救守(防衛援助)をする者は、最上は弁説によって、その次は兵によって行う。弁説によれば、多くの徒党が集まり、日夜そのことを思い、心を尽くし精を傾け、起きては唱え、寝ては夢に見、唇を乾かし肺を涸らし、精神をすり減らす。上は三皇五帝の事業を称えてその意を喜ばせ、下は五覇や名士の謀を称えてその事を確かなものにし、朝早く出仕し夜遅く退き、兵を司る者に説き、弁説を民衆に語ってその道を明らかにする。だが説き尽くしても行われなければ、必ず兵に訴える。兵に訴えれば必ず闘争となり、その勢いで人を殺すことになる。これは罪なき民を殺して無道と不義を助けることだ。無道不義の者が存続すれば、天下の害を伸ばし天下の利を止めることになる。幸いに勝っても、禍はそこから始まって大きくなる。先王の法に「善を為す者は賞し、不善を為す者は罰す」とある。古の道であり、変えてはならない。今、義と不義を区別せずにあわてて救守を支持するのは、これほど大きな不義はなく、天下の民を害することもこれほど甚だしいものはない。だから攻伐を支持するのも非難するのも不可、救守を支持するのも非難するのも不可で、ただ義兵だけが可である。兵がもし義であれば攻伐も救守もよく、兵が不義なら攻伐も救守も不可だ。夏桀・殷紂が無道をここまで極めたのは(民にとって)幸いであり、呉の夫差・智伯瑤が侵奪をここまで極めたのも、晉の厲公・陳の靈公・宋の康王が不善をここまで極めたのも幸いである。もし桀・紂が、必ず国が滅び身が死に子孫も絶えると知っていたら、無道をここまで極めはしなかっただろう。夫差・智伯瑤が、必ず国が廃墟となり身が刑戮に遭うと知っていたら、侵奪をここまで極めはしなかっただろう。晉の厲公が匠麗氏で殺されると、陳の靈公が夏徵舒に殺されると、宋の康王が溫で死ぬと知っていたら、不善をここまで極めはしなかっただろう。この七君は大いに無道不義を行い、殺した罪なき民は万を数えきれず、若者も老人も幼児も胎児も死んで平原を埋め、その死骸で深い谷や大谷や大河をふさぎ、灰を積み、溝や水路を埋め、険しい地に赴かせ、流れ矢を冒し、白刃を踏ませ、そのうえ凍えや飢えの苦しみまで加えた。今の世に至ってはそれがいっそう甚だしく、さらされた骸骨は数え切れず、積み上げた京丘(死体の山)は山陵のようだ。世に興隆をもたらす君主や仁ある士がいて深くこれを思えば、痛ましく悲しむべきことだ。この禍の生じるもとを察すれば、有道者が退けられ無道者がほしいままに振る舞うことから生じる。無道者がほしいままに振る舞うのは(発覚せぬ)幸運にすぎない。だから世の患いは救守にあるのではなく、愚劣な者の幸運にある。救守の説が出れば、愚劣な者はますます幸運を得、賢者はますます疑われる。だから大いに天下を乱すのは、その義を論じずにあわてて救守を支持することにある。

解説

「禁塞」篇の中心となる長い一段で、救守論の危うさを歴史の実例で論証します。防衛援助はまず弁説、次に兵で行われるが、義不義を問わなければ無道の君を守り罪なき民を殺すと説き、夏桀・殷紂から呉の夫差・智伯瑤、晉厲公・陳靈公・宋康王まで七人の暴君を挙げ、彼らが破滅を知らずに暴虐を極めた末の惨状——平原を埋める死体、山のような京丘——を痛切に描きます。世の禍は救守そのものでなく、義を問わず暴君を助けることにあると結び、力の是非を義によって判断せよという主張を歴史で裏づけます。悲惨の描写は反戦の情念すら帯び、正義なき力を戒める警世の書として今日にも響きます。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ