呂氏春秋 / 蕩兵④
且兵之所自來者遠矣,未嘗少選不用,貴賤長少賢者不肖相與同,有巨有微而已矣。察兵之微:在心而未發,兵也;疾視,兵也;作色,兵也;傲言,兵也;援推,兵也;連反,兵也;侈鬭,兵也;三軍攻戰,兵也。此八者皆兵也,微巨之爭也。今世之以偃兵疾說者,終身用兵而不自知,悖,故說雖(疆)〔彊〕,談雖辨,文學雖博,猶不見聽。故古之聖王有義兵而無有偃兵。兵誠義,以誅暴君而振苦民,民之說〔之〕也,若孝子之見慈親也,若饑者之見美食也;民之號呼而走之,若(疆)〔彊〕弩之射於深谿也,若積大水而失其壅隄也。中主猶若不能有其民,而況於暴君乎?
新字:且兵之所自来者遠矣,未嘗少選不用,貴賤長少賢者不肖相与同,有巨有微而已矣。察兵之微:在心而未発,兵也;疾視,兵也;作色,兵也;傲言,兵也;援推,兵也;連反,兵也;侈闘,兵也;三軍攻戦,兵也。此八者皆兵也,微巨之争也。今世之以偃兵疾説者,終身用兵而不自知,悖,故説雖(疆)〔彊〕,談雖辨,文學雖博,猶不見聴。故古之聖王有義兵而無有偃兵。兵誠義,以誅暴君而振苦民,民之説〔之〕也,若孝子之見慈親也,若饑者之見美食也;民之号呼而走之,若(疆)〔彊〕弩之射於深谿也,若積大水而失其壅隄也。中主猶若不能有其民,而況於暴君乎?
書き下し
且つ兵の自りて來たる所の者は遠し。未だ嘗て少選も用いずんばあらず。貴賤長少賢者不肖相與に同じ。巨有り微有るのみ。兵の微を察するに、心に在りて未だ發せざるも兵なり。疾視するも兵なり。色を作すも兵なり。傲言するも兵なり。援推するも兵なり。連反するも兵なり。侈鬭するも兵なり。三軍攻戰するも兵なり。此の八者は皆兵なり。微巨の爭いなり。今世の偃兵を以て疾説する者の、終身兵を用うるも自ら知らざるは悖れり。故に説彊しと雖も、談辨ずと雖も、文學博しと雖も、猶は聽かれず。故に古の聖王には義兵有りて、偃兵有ること無し。兵誠に義にして、以て暴君を誅して苦民を振わば、民の説ぶや、孝子の慈親を見るが若く、饑者の美食を見るが若きなり。民の號呼して之に走るは、彊弩の深谿を射るが若く、大水を積みて其の壅隄を失うが若きなり。中主すら猶若ほ其の民を有つこと能わず、而るを況や暴君に於いてをや。
現代語訳
兵の由来は遠く、片時も用いられなかったことはない。貴賤・長少・賢愚の別なくみな同じで、ただ大きな戦と目に見えぬ戦があるだけだ。兵の微細なものを察すれば——心に抱いてまだ発しないのも兵、睨みつけるのも、怒気を顔に出すのも、傲慢な言葉も、押し引きも、力比べも、激しい取っ組み合いも、三軍の攻戦も、みな兵である。この八つはみな兵であり、微細と巨大の争いにすぎない。今の世で偃兵を力説する者が、生涯戦いを用いながら自覚しないのは道理に反する。だから弁がいかに強く、論がいかに巧みで、学識がいかに広くても、聞き入れられない。だから古の聖王には義兵はあっても偃兵はなかった。兵がまことに義であって、暴君を誅し苦しむ民を救えば、民の喜びようは孝子が慈しみ深い親に会うよう、飢えた者が美食に会うようである。民が叫んで駆け寄るさまは、強弩が深い谷に射込まれるよう、大水を貯めた堤が切れるようである。凡庸な君主でさえ民を保てないのに、まして暴君ならなおさらである。