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呂氏春秋 / 制樂②

周文王立國八年,歲六月,文王寢疾五日而地動,東西南北,不出國郊,百吏皆請曰:「臣聞地之動〔也〕,為人主也。今王寢疾五日而地動,四面不出周郊,群臣皆恐,(曰)請移之。」文王曰:「若何其移之也?」對曰:「興事動眾,以增國城,其可以移之乎。」文王曰:「不可。夫天之見妖也,以罰有罪也。我必有罪,故天以此罰我也。今〔又〕故興事動眾以增國城,是重吾罪也。不可(文王曰)〔以之〕昌也。請改行重善以移之,其可以免乎。」於是謹其禮秩皮革,以交諸侯;飭其辭令幣帛,以禮豪士;頒其爵列等級田疇,以賞〔有功〕,〔遂與〕群臣。〔行此〕無幾何,疾乃止。文王即位八年而地動,已動之後四十三年,凡文王立國五十一年而終,此文王之所以止殃剪妖也。

新字:周文王立国八年,歲六月,文王寝疾五日而地動,東西南北,不出国郊,百吏皆請曰:「臣聞地之動〔也〕,為人主也。今王寝疾五日而地動,四面不出周郊,群臣皆恐,(曰)請移之。」文王曰:「若何其移之也?」対曰:「興事動眾,以增国城,其可以移之乎。」文王曰:「不可。夫天之見妖也,以罰有罪也。我必有罪,故天以此罰我也。今〔又〕故興事動眾以增国城,是重吾罪也。不可(文王曰)〔以之〕昌也。請改行重善以移之,其可以免乎。」於是謹其礼秩皮革,以交諸侯;飭其辞令幣帛,以礼豪士;頒其爵列等級田疇,以賞〔有功〕,〔遂与〕群臣。〔行此〕無幾何,疾乃止。文王即位八年而地動,已動之後四十三年,凡文王立国五十一年而終,此文王之所以止殃剪妖也。

書き下し

周の文王、國に立つこと八年、歲の六月、文王疾に寝ぬ。五日にして地動き、東西南北、國郊を出でず。百吏皆請いて曰く、「臣聞く、地の動くは、人主の為なり、と。今王疾に寝ぬるに五日にして地動き、四面周郊を出でず。群臣皆恐れて、之を移さんことを請う。」文王曰く、「若何にして其れ之を移すや。」對えて曰く、「事を興して衆を動かし、以て國城を増し、其れ以て之を移す可きか。」文王曰く、「不可なり。夫れ天の妖を見すや、以て罪有るを罰するなり。我必ず罪有り。故に天は此を以て我を罰するなり。今故らに事を興し衆を動かして、以て國城を増すは、是れ吾が罪を重ぬるなり。以て之れ昌ゆ可からず。請う、行いを改め善を重ねて以て之を移さん。其れ以て免る可きか。」是に於て其の禮秩皮革を謹み、以て諸侯に交わり、其の辭令幣帛を飭し、以て豪士を禮し、其の爵列等級田疇を頒ち、以て功有るを賞し、遂に群臣に與う。此を行うこと幾何も無くして、疾乃ち止む。文王位に即きて八年にして地動き、已に動くの後四十三年、凡そ文王國に立ちて五十一年にして終わる。此れ文王の殃を止め妖を翦きし所以なり。

現代語訳

周の文王が国を建てて八年、その年の六月、文王が病で臥せって五日目に地震が起き、東西南北、国の郊外を出なかった。役人たちは皆願って言った、「私どもはこう聞いています、地が動くのは君主のためだと。今、王が病に臥せって五日で地が動き、四方とも周の郊外を出ません。群臣は皆恐れて、どうかこれを他所へ移してくださいと申します」。文王は「どうやってこれを移すのか」と言った。答えて言うには「事業を起こして民衆を動員し、それで国の城壁を高くすれば、それで移せましょう」。文王は言った、「それはいけない。天が凶兆を示すのは、罪ある者を罰するためだ。私にはきっと罪がある。だから天はこれで私を罰するのだ。今わざわざ事業を起こし民衆を動かして城壁を高くするのは、私の罪を重ねることだ。それでは栄えることはできない。どうか行いを改め善を積み重ねてこれを移そう。そうすれば免れられよう」。そこで諸侯への礼遇と皮革の贈り物を丁寧にして諸侯と交わり、辞令と贈り物を整えて有力な士を礼遇し、爵位・等級・田地を分け与えて功ある者に賞し、群臣にまで及ぼした。これを行っていくらもしないうちに、病は止んだ。文王は即位して八年で地が動き、動いた後四十三年、あわせて文王は国を建てて五十一年で世を去った。これが文王が災いを止め凶兆を除いた理由である。

解説

この段は、地震という凶兆に対する周の文王の対応を描きます。臣下は民を動員して城壁を築けば災いを他に転嫁できると進言しますが、文王はこれを退け、凶兆は自らの罪への天罰だと受け止め、行いを改め善政を積むことで応えます。責任を外に転嫁せず自らに引き受け、民に負担を強いる工事ではなく徳の実践で危機に向き合う姿が、理想の君主像として示されます。結果として病も癒え、長く国を保ったと語られます。困難の原因を他者や環境のせいにせず、自らの姿勢を正して立て直すという発想は、リーダーの責任のあり方を考える現代にも通じます。

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