呂氏春秋 / 音初②
禹行功,見塗山之女,禹未之遇而巡省南土。塗山氏之女乃令其妾〔往〕(待)〔候〕禹于塗山之陽,女乃作歌,歌曰「候人兮猗」,實始作為南音。周公及召公取風焉,以為《周南》、《召南》。
新字:禹行功,見塗山之女,禹未之遇而巡省南土。塗山氏之女乃令其妾〔往〕(待)〔候〕禹于塗山之陽,女乃作歌,歌曰「候人兮猗」,実始作為南音。周公及召公取風焉,以為《周南》、《召南》。
書き下し
禹、功に行り、塗山の女を見る、禹未だ之に遇せずして、南土を巡省す。塗山氏の女乃ち其の妾をして禹を塗山の陽に待たしむ。女乃ち歌を作る。歌に曰く、「人を候つ兮猗。」實に始めて南音を作為す。周公及び召公、風を取り、以て周南・召南を為る。
現代語訳
禹が治水の事業に出て、塗山氏の娘に出会ったが、まだ婚礼を挙げないうちに南方の地を巡視した。塗山氏の娘は侍女に命じて禹を塗山の南側で待たせた。娘はそこで歌を作り、「人を待つよ、ああ」と歌った。これが実に南方の音楽(南音)の始まりである。周公と召公はこの地の民謡を採り、『詩経』の周南・召南とした。
解説
この段は、南方の音楽の起源を伝える説話です。治水に奔走する禹を恋い慕い、塗山氏の娘が待ちわびて歌った「候人兮猗」の一句が南音の始まりとされ、後に周公・召公がこの地の歌を採って『詩経』の周南・召南に結実したと語られます。ここでも音楽は、人を待つ切実な情から生まれるものとして描かれます。個人の感情が土地の歌となり、やがて古典として体系化されていく流れは、民間の表現が文化として受け継がれていく過程を示します。素朴な心の声が形を得て後世に残るという見方は、文化の継承を考える現代にも示唆を与えます。