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呂氏春秋 / 適音④

何謂適?衷、音之適也。何謂衷?大不出鈞,重不過石,小大輕重之衷也。黃鐘之宮,音之本也,清濁之衷也。衷也者適也,以適聽適則和矣。樂無太,平和者是也。故治世之音安以樂,其政平也;亂世之音怨以怒,其政乖也;亡國之音悲以哀,其政險也。凡音樂通乎政,而(移)風(平)〔乎〕俗者也,俗定而音樂化之矣。故有道之世,觀其音而知其俗矣,〔觀其俗而知其政矣〕,觀其政而知其主矣。故先王必託於音樂以(論)〔諭〕其教。《清廟》之瑟,朱弦而䟽越,一唱而三嘆,有進乎音者矣。大饗之禮,上玄尊而俎生魚,大羹不和,有進乎味者也。故先王之制禮樂也,非特以歡耳目、極口腹之欲也,將〔以〕教民平好惡、行理義也。

新字:何謂適?衷、音之適也。何謂衷?大不出鈞,重不過石,小大輕重之衷也。黄鐘之宮,音之本也,清濁之衷也。衷也者適也,以適聴適則和矣。楽無太,平和者是也。故治世之音安以楽,其政平也;乱世之音怨以怒,其政乖也;亡国之音悲以哀,其政険也。凡音楽通乎政,而(移)風(平)〔乎〕俗者也,俗定而音楽化之矣。故有道之世,観其音而知其俗矣,〔観其俗而知其政矣〕,観其政而知其主矣。故先王必託於音楽以(論)〔諭〕其教。《清廟》之瑟,朱弦而䟽越,一唱而三嘆,有進乎音者矣。大饗之礼,上玄尊而俎生魚,大羹不和,有進乎味者也。故先王之制礼楽也,非特以歓耳目、極口腹之欲也,将〔以〕教民平好悪、行理義也。

書き下し

何をか適と謂う。衷は音の適なり。何をか衷と謂う。大、鈞を出でず、重、石を過ぎざるは、小大輕重の衷なり。黃鐘の宮は、音の本なり。清濁の衷なり。衷なる者は適なり。適せるを以て適なるを聽けば則ち和す。樂に太だしき無く、平和なる者は是なり。故に治世の音は安らかにして以て樂し。其の政平らかなればなり。亂世の音は怨みて以て怒る。其の政乖けばなり。亡國の音は悲しくて以て哀し。其の政險なればなり。凡そ音樂は政に通じて、風を移し俗を平らかにする者なり。俗の定まるは、而ち音樂之を化せばなり。故に有道の世は、其の音を觀て其の俗を知り、其の政を觀て其の主を知る。故に先王は必ず音樂に託して以て其の教えを論ず。清廟の瑟は、朱弦にして疏越、一唱して三歎するは、音より進む者有ればなり。大饗の禮は、玄尊を上りて生魚を俎にし、大羹和せざるは、味より進む者有ればなり。故に先王之の禮樂を制するや、特に以て耳目を歡ばせ、口腹の欲を極むるのみに非ざるなり。將に以て民に教えて好惡を平らかにし、理義を行わしめんとするなり。

現代語訳

何をほどよさ(適)というのか。「衷(かたよらぬ中)」こそ音のほどよさである。何を衷というのか。大きさが鈞(三十斤)を超えず、重さが石(百二十斤)を過ぎないのが、大小・軽重の中である。黄鐘の宮の音は、音の根本であり、清濁の中である。衷とは適であり、ほどよい心でほどよい音を聞けば調和する。音楽に極端がなく平和であるのがこれだ。だから治まった世の音は安らかで楽しく、その政治が平らかだからである。乱れた世の音は怨みがましく怒りっぽく、その政治がねじけているからである。滅びゆく国の音は悲しく哀れで、その政治が危ういからである。およそ音楽は政治と通じ合い、風俗を移し変えるものであり、風俗が定まるのは音楽がそれを感化するからだ。だから道ある世では、その音を聞いて風俗を知り、その政治を見て君主を知る。だから先王は必ず音楽に託して教えを示した。宗廟で歌う『清廟』の瑟は、朱塗りの弦で底の孔を通し、一人が歌えば三人が和する質素なもので、音以上の深い趣がある。大饗の礼では、玄酒(水)を供え生魚を俎に載せ、肉汁に味付けをしない。これは味以上の深い意味がある。だから先王が礼楽を制したのは、ただ耳目を喜ばせ口腹の欲を極めるためではなく、民を教えて好悪を平らかにし、道理と正義を行わせるためだったのである。

解説

音楽の理想「衷(かたよらぬ中正)」を定義し、それを政治・風俗・教化と結ぶ、適音篇を締めくくる段です。大きさや重さに一定の限度を置き、黄鐘の宮を音の根本・清濁の中とする具体性から始まり、治世・乱世・亡国の音がそれぞれの政治を映すと説きます。音楽は風俗を感化し、音を聞けばその世の風俗や君主まで知れる――だから先王は音楽に教えを託したのです。『清廟』の質素な瑟や、味付けせぬ大饗の供物は、感覚の快より深い意味を尊ぶ礼楽の精神を象徴します。芸術を娯楽に閉じ込めず、社会を映し人を育てる営みとみるこの思想は、文化と政治・道徳の関係を問う視点として今も重みを持ちます。

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