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呂氏春秋 / 侈樂③

樂之有情,譬之若肌膚形體之有情性也,有情性則必有性養矣。寒溫勞逸饑飽,此六者非適也。凡養也者,瞻非適而以之適者也。能以久處其適,則生長矣。生也者,其身固靜,或而後知,或使之也。遂而不返,制乎嗜欲,制乎嗜欲(無窮)則必失其天矣。且夫嗜欲無窮,則必有貪鄙(浮)〔悖〕亂之心,淫佚姦詐之事矣。故(疆)〔彊〕者劫弱,眾者暴寡,勇者凌怯,壯者慠幼,從此生矣。

新字:楽之有情,譬之若肌膚形体之有情性也,有情性則必有性養矣。寒温労逸饑飽,此六者非適也。凡養也者,瞻非適而以之適者也。能以久処其適,則生長矣。生也者,其身固静,或而後知,或使之也。遂而不返,制乎嗜欲,制乎嗜欲(無窮)則必失其天矣。且夫嗜欲無窮,則必有貪鄙(浮)〔悖〕乱之心,淫佚姦詐之事矣。故(疆)〔彊〕者劫弱,眾者暴寡,勇者凌怯,壮者慠幼,従此生矣。

書き下し

樂の情有るは、之を譬うれば、肌膚形體の情性有るが若きなり。情性有れば則ち必ず性養有り。寒溫勞逸饑飽、此の六者は適に非ざるなり。凡そ養なる者は、適に非ざるを瞻て、之を以て適せしむる者なり。能く以て久しく其の適に處れば、則ち生長し。生なる者は、其の身固より靜にして、感じて而る後に知り、之を使しむるもの或るなり。遂げて返らざれば、嗜欲に制せらる。嗜欲に制せらるること窮まり無ければ、則ち必ず其の天を失う。且つ夫れ嗜欲窮まり無ければ、則ち必ず貪鄙悖亂の心、淫佚姦詐の事有り。故に彊者、弱を劫し、衆者、寡を暴げ、勇者、怯を凌ぎ、壯者、幼に傲るは、此れ從り生ず。

現代語訳

音楽に本質(情)があるのは、たとえば肌や身体に情性があるようなものだ。情性があれば必ずそれを養うことが必要になる。寒さ・暑さ・労働・安逸・飢え・満腹――この六つは、いずれもほどよさ(適)を欠いた状態である。そもそも養うとは、ほどよくない状態を見て、それをほどよく調えることだ。長くそのほどよさを保てれば、生命は育つ。生命というものは、その身はもともと静かで、外に感じてはじめて知り、何かがそう働かせるのである。それに従うばかりで立ち返らなければ、欲望に支配される。欲望に際限なく支配されれば、必ずその天性を失う。そのうえ欲望に限りがなければ、必ず貪欲でよこしまな乱れた心や、みだらで邪悪な行いが生じる。だから強い者が弱い者をおびやかし、多数が少数を虐げ、勇ある者が臆病者をしのぎ、壮年が幼少をあなどる――こうしたことはここから生じるのだ。

解説

音楽にも身体と同じく「情(本質)」があり、それを正しく養う必要があると説く段です。寒暑・労逸・飢飽といった偏りを調えて「適(ほどよさ)」を保つのが養生であり、長くほどよさを保てば生命は健やかに育つといいます。ところが欲望に引きずられて立ち返らなければ、際限のない嗜欲に支配されて天性を失い、貪欲や乱れた行いを生み、ついには強者が弱者を虐げる社会の暴力にまで至ると論じます。音楽の過剰を戒める侈樂篇の主張が、欲望の節制という人間論・社会論へと展開しているのです。刺激や欲求を野放しにせず「ほどよさ」で調えるという発想は、健康にも人間関係にも通じる普遍的な知恵といえます。

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