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呂氏春秋 / 侈樂①

人莫不以其生生,而不知其所以生。人莫不以其知知,而不知其所以知。知其所以知之謂知道,不知其所以知之謂棄寶。棄寶者必離其咎。世之人主,多以珠玉戈劍為寶,〔寶〕愈多而民愈怨,國(人)愈危,身愈(危)累,則失寶之情矣。亂世之樂與此同。為木革之聲則若雷,為金石之聲則若霆,為絲竹歌舞之聲則若譟。以此駭心氣、動耳目、搖蕩生則可矣,以此為樂則不樂。故樂愈侈,而民愈鬱,國愈亂,主愈卑,則亦失樂之情矣。

新字:人莫不以其生生,而不知其所以生。人莫不以其知知,而不知其所以知。知其所以知之謂知道,不知其所以知之謂棄宝。棄宝者必離其咎。世之人主,多以珠玉戈剣為宝,〔宝〕愈多而民愈怨,国(人)愈危,身愈(危)累,則失宝之情矣。乱世之楽与此同。為木革之声則若雷,為金石之声則若霆,為絲竹歌舞之声則若譟。以此駭心気、動耳目、揺蕩生則可矣,以此為楽則不楽。故楽愈侈,而民愈鬱,国愈乱,主愈卑,則亦失楽之情矣。

書き下し

人は其の生を以て生きざるは莫し、而れども其の生くる所以を知らず。人は其の知を以て知らざるは莫し、而れども其の知る所以を知らず。其の知る所以を知る、之を道を知ると謂う。其の知る所以を知らざる、之を寶を棄つと謂う。寶を棄つる者は必ず其の咎に離る。世の人主は、多く珠玉戈劍を以て寶と為し、愈々多くして民愈々怨み、國人愈々危うく、身愈々危累す。則ち寶の情を失うなり。亂世の樂は此と同じ。木革の聲を為せば則ち雷の若く、金石の聲を為せば則ち霆の若く、絲竹歌舞の聲を為せば則ち譟の若し。此を以て心気を駭かし、耳目を動かし、生を搖蕩せんとすれば則ち可なるも、此を以て樂と為せば則ち樂しからず。故に樂は愈々侈にして、民は愈々鬱し、國は愈々亂れ、主は愈々卑し。則ち亦た樂の情を失うなり。

現代語訳

人はみな自分の生命によって生きているが、なぜ生きているのかを知らない。人はみな自分の知によって知るが、なぜ知りうるのかを知らない。なぜ知りうるかを知ることを「道を知る」といい、それを知らないことを「宝を棄てる」という。宝を棄てる者は必ず災いにかかる。世の君主は多く珠玉や武器を宝とするが、宝が多いほど民は怨み、国はいよいよ危うく、身はいよいよ煩わされる。これでは宝の本質を見失っている。乱世の音楽もこれと同じだ。木や革の音は雷のよう、金や石の音は雷鳴のよう、糸竹や歌舞の音は騒がしいばかり。これで心気を驚かせ耳目を刺激し心を高ぶらせるならよいが、これを音楽とすれば楽しくない。だから音楽が贅沢になるほど民はふさぎ、国は乱れ、君主は卑しくなる。これもまた音楽の本質を見失っているのだ。

解説

贅沢で過剰な音楽「侈樂」を批判する篇の冒頭です。まず「なぜ知りうるかを知る」ことこそ道であり、それを見失うのは真の宝を棄てるに等しいと説きます。君主が珠玉や武器を宝と誤るほど民は怨み国は危うくなる――音楽もこれと同じで、ただ大きく激しく騒がしいだけの音は人を刺激しても真の喜びを与えず、贅沢になるほど民をふさがせ国を乱すというのです。刺激の強さと音楽の本質とを取り違えてはならない、という戒めです。派手さや過剰さを価値と錯覚しがちなのは今も同じで、量や刺激ではなく本質を見極めよというこの批判は、消費や娯楽のあり方を問い直す視点として通じます。

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