呂氏春秋 / 去私⑥
庖人調和而弗敢食,故可以為庖。若使庖人調和而食之,則不可以為庖矣。王伯之君亦然,誅暴而不私,以封天下之賢者,故可以為王伯;若使王伯之君誅暴而私之,則亦不可以為王伯矣。
書き下し
庖人は調和すれども敢て食らわず。故に以て庖と為す可し。若し庖人をして調和して之を食らわしめば、則ち以て庖と為す可からず。王伯の君も亦た然り。暴を誅して私せず、以て天下の賢者を封ず。故に以て王伯と為る可し。若し王伯の君をして暴を誅して之を私せしめば、則ち亦た以て王伯と為す可からず。
現代語訳
料理人は料理を作って味を調えるが、勝手にそれを食べてしまったりはしない。だからこそ料理人でいられる。もし料理人が作った料理を自分で食べてしまうようなら、料理人ではいられない。王者・覇者もこれと同じである。暴虐な者を討ってもそれを私物化せず、天下の賢者に領地を分け与える。だからこそ王者・覇者でいられる。もし王者・覇者が暴虐を討って、その戦果を私物化してしまうなら、やはり王者・覇者ではいられない。
解説
「去私」篇の結びを、料理人の比喩でしめくくる段です。料理人は料理を調えても勝手に食べてしまわないからこそ料理人でいられる、といいます。同じように、王者や覇者は、暴君を討ってもその成果を独り占めせず、有徳の賢者に分け与えるからこそ、その地位にふさわしいのだ、というのです。地位や権力とは、私腹を肥やすためのものではなく、天下のために働く役割にすぎない——この一貫した主張が、身近な比喩で鮮やかに示されています。討伐という大きな成果を得たときこそ、それを私物化するか公に還元するかで、真のリーダーかどうかが問われます。手にした成果を自分のものにしない自制——料理人という卑近な例を通じて、公の本質を誰にでも分かる形で伝える、篇の締めくくりにふさわしい一段です。