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呂氏春秋 / 貴公②

天下非一人之天下也,天下之天下也。陰陽之和,不長一類;甘露時雨,不私一物;萬民之主,不阿一人。伯禽將行,請所以治魯,周公曰:「利而勿利也。」荊人有遺弓者,而不肯索,曰:「荊人遺之,荊人得之,又何索焉?」孔子聞之曰:「去其『荊』而可矣。」老聃聞之曰:「去其『人』而可矣。」故老聃則至公矣。天地大矣,生而弗子,成而弗有,萬物皆被其澤、得其利,而莫知其所由始,此三皇、五帝之德也。

新字:天下非一人之天下也,天下之天下也。陰陽之和,不長一類;甘露時雨,不私一物;万民之主,不阿一人。伯禽将行,請所以治魯,周公曰:「利而勿利也。」荊人有遺弓者,而不肯索,曰:「荊人遺之,荊人得之,又何索焉?」孔子聞之曰:「去其『荊』而可矣。」老聃聞之曰:「去其『人』而可矣。」故老聃則至公矣。天地大矣,生而弗子,成而弗有,万物皆被其沢、得其利,而莫知其所由始,此三皇、五帝之徳也。

書き下し

天下は一人の天下に非ざるなり、天下の天下なり。陰陽の和は一類を長ぜず、甘露時雨は一物に私せず、萬民の主は一人に阿らず。伯禽将に行かんとして、魯を治むる所以を請う。周公曰く、「利して利とすること勿れ。」荊人に弓を遺う者有り。肯て索めず。曰く、「荊人之を遺い、荊人之を得。又何ぞ索めんや。」孔子之を聞きて曰く、「其の『荊』を去れば可なり。」老耼之を聞きて曰く、「其の『人』を去れば可なり。」故に老耼は則ち至公なり。天地は大なり、生じて子とせず、成して有せず、萬物皆其の澤を被り其の利を得るも、其の由りて始まる所を知る莫し。此れ三皇五帝の徳なり。

現代語訳

天下は一人の天下ではなく、天下万人の天下である。陰陽の調和は特定の一種類だけを育てはせず、恵みの露や時宜の雨は特定の一物だけをえこひいきせず、万民の主君は特定の一人にへつらわない。周公の子の伯禽が魯へ赴任するとき、治め方を問うと、周公は「民を利しても、自分の利にしようとするな」と答えた。楚(荊)の人で弓を失くした者がいたが、探そうとせず「楚の人が失くし、楚の人が拾うのだ、なぜ探す必要があろう」と言った。孔子はこれを聞いて「その『楚』の字を取り去れば(誰が拾ってもよいとすれば)なおよい」と言い、老子はこれを聞いて「その『人』の字まで取り去れば(人でなくてもよいとすれば)なおよい」と言った。だから老子こそ究極の公である。天地は大きく、万物を生んでもわが子として囲い込まず、成し遂げても自分の所有とせず、万物はみなその恵みを受け利を得ながら、それがどこから始まったかを知らない。これが三皇五帝の徳である。

解説

「公」の思想を、有名な逸話を重ねて深めていく段です。天下は特定の誰かのものではなく万人のものであり、天地や雨露が分け隔てなく万物を潤すように、君主も一人にえこひいきしてはならない、と説きます。中でも「荊人、弓を遺う」の話が印象的です。楚の人は「楚の人が拾うのだから探さない」と言い、孔子は「楚の字を取れば、誰が拾ってもよくなる」と広げ、老子はさらに「人の字も取れば、人でなくてもよい」と、公の輪を天地全体にまで押し広げます。私から一族へ、一国へ、人類へ、そして万物へ——公平の範囲をどこまで広げられるかを段階的に示した名高い一段です。恵みを施しながら見返りを求めず所有もしない天地の徳を、理想の統治像として掲げています。

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